内緒でママになったのに、溺愛に目覚めた御曹司から逃れられない運命でした。
「叔父さん、アトリエに勝手に入るのはやめてくださいと何度も伝えたはずです」
口の中いっぱいに苦いものが広がっていく。
唯一の身内である譲治にこんなことを言わなければならないのが心苦しかった。
父と母を亡くした藍里には、もう身内らしい身内は譲治しかいない。
母は父との結婚を反対され駆け落ち同然で家を出たため、母方の親族とは疎遠になっていたからだ。
「また絵を勝手に売ろうとしたのね?」
譲治が父の残した絵を勝手に売り捌き始めたのは、一年ほど前のことだ。
藍里の知らぬ間にアトリエから絵を持ち出しては、本来の評価額の半値ほどで売り払っていたらしい。
藍里の耳に譲治の悪行が届いたのは、絵が何枚も売られたあとだった。
知り合いの画商がこれまで市場に出回っていなかった父の絵が次々と取引され始めたのを不審に思い、わざわざ知らせてくれたのだ。
『嘘でしょ……』
知らせを受けアトリエを訪れた藍里は、為す術なくその場に崩れ落ちた。
――アトリエに保管しておいた父の絵がほとんどなくなっている。
玄関に飾ってあったポピーの絵も、展覧会で大臣賞に輝いた湖畔の絵も。
誇らしげに飾られていた数々の絵は額ごとなくなっており、日焼けの跡だけがかつてこの場所に絵があったことを生々しく教えてくれた。
鍵が壊されておらず荒らされた形跡もないことか、盗難に遭ったとは考えにくい。
母が亡くなり無人となったアトリエの鍵を持っているのは、藍里と譲治だけだ。
犯人は自ずとひとりに絞られる。