キミと桜を両手に持つ
「紗綾香さんに捨てられるかどうかは知りませんけど、前田さんこの調子だと繁忙期が終わる前に倒れますよ。確か先週もずっと遅くまで残業してましたよね。上野さんの代わりはまだ見つからないんですか?」
上野さんの仕事は私達ディレクターもずっと残業しながらサポートしている。でも自分たちの仕事だけでも今は手いっぱいでなかなか大変な状態が続いている。
「うーん、それなんだけどな……。実は藤堂さんを一時的にだけど呼び戻そうかと事業部長と話してる」
前田さんはヨーグルトの蓋をあけるとプラスチックのスプーンですくって食べ始めた。彼がなにか考え事をして黙々と食べているのを横目で見ながら意外な人物の名前が出たのに少し驚く。
「藤堂さんって今アメリカの本社にいるあの藤堂さんですか……?」
「そう。あの藤堂さん。実はちょっと前から彼をそろそろ呼び戻そうかって話してたところだったんだ。でもこの話まだ誰にも言うな。まだ正式に決まったわけじゃないから」
前田さんが呼び戻すと言っている藤堂一樹さんは私の入社する少し前にアメリカに赴任になった現在34歳の凄腕プロデューサー。元々はシステムエンジニア系のプログラマーでその経験を活かしてプロデューサーとしてプロジェクト全体の統括をしていた。
彼が受け持った案件はどれも大きくて難しいのにいつも完璧。今でも藤堂さんはいつ戻ってくるのかとクライアントに聞かれることもしばしばある。
何故そんな彼が急にアメリカに赴任になったのかはよくわからないけど、彼はいま本社のエンジニアと一緒にクラウドアプリなどの開発を行っている。
「藤堂さんが帰って来ると心強いですよね……。帰って来るとしたらいつ頃になるんでしょうか?」