猫は、その恋に奇跡を全振りしたい
「井上さん、野良猫のことで相談したいことがあるんだけど」
「あ……! 天橋先生、もしかして猫巡り部への依頼ですか!」

井上先輩が歓喜の声を上げる。
天橋先生は、わたしたち、1年2組のクラスの担任の先生で、猫巡り部の顧問の先生でもあった。

「あら、今井くん。猫巡り部に入部することにしたの?」
「先生、今は『安東』でいいです」
「……分かったわ。あなたがそれを望むのなら」

渚くんの言葉に、天橋先生は申し訳なさそうにうつむいた。

「すみません。俺の目的を果たすためには、猫巡り部に入部した方がいいと思ったんです」
「目的って、渚くんの未練を晴らすことだよね……?」

心臓が音を立てて動いている。
そういえば、肝心の渚くんの未練を聞いていなかった。
わたしの質問に、渚くんは躊躇うように口にした。

「冬華。俺の目的は、未練を晴らすことじゃない」
「えっ?」

驚きだけが、ただただ音になって溢れる。
あまりに唐突で、意味が分からなかったからだ。

「俺が猫巡り部に入部したのは、俺のロスタイムを長引かせるためだ」

渚くんの言葉に混乱しつつ、わたしは戸惑うように口を開いた。

「渚くんのロスタイムを……? どういうこと?」
「俺の目的は、俺を――安東渚を死なせないこと。だから、俺は俺の未練を晴らさない。このロスタイムを終わらせるわけにはいかないから!」

渚くんの力強い言葉に、思わず心臓が波打った。

(渚くんのロスタイムを……終わらせない……? それってこのまま、渚くんと一緒にいられるということ……?)

その一瞬、そのひととき。
幸せだったあの頃を想うと、胸が痛くて瞳に涙がにじむ。

「えっ! 未練を晴らさないって?」
「安東くん……それは……」

井上先輩も、天橋先生も、その決断に心底、驚いていた。
だけど、わたしは……。
その答えに気づいてしまったら、もう後戻りはできなかった。

「……わたしも、渚くんが生きている世界がほしい」

希望に似た感情とともに、思わずつぶやいてしまう。
わたしにとって、渚くんは心の拠り所だった。
渚くんのそばにいられて、好きでいることが、わたしにとって、何よりも幸福だった。
たとえ、この選択が正しくなくても、もう答えはひとつしかない。

それが、今井くんの人生を奪ってしまうことになっても――。

渚くんと交わした約束、響き続ける星空。
今も、わたしを捕らえて離さないんだ。
この世界に、きっと本当の意味で不可能なことなんて、何一つとしてないと思うから。

「このまま、渚くんが生きている世界がほしい!」

わたしは今まで届かなかった想いに手を伸ばす。
決して、もとには戻れないと知りながら。
運命の歯車はゆっくりと動き出していた。
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