猫は、その恋に奇跡を全振りしたい


未来は揺蕩っている。
誰にも結末はわからない。
理想を追い求めた先には、何があるのだろうか――。

夢の中のわたしは海辺に立っていた。
波の音が、その瞬間だけ、はっきりと響き渡った。
一瞬、この場にはわたしたち以外、誰もいないのではないかと錯覚するほどの静寂が、そこにはあった。

「海が、光に反射して星屑みたい」

わたしは事もなげに問いかける。
波の音と風に混ざって、遠く近く、耳朶をくすぐる潮騒。
清らかな月の光にあって、今はそれさえもどこか遠い世界のさざめきに感じた。

「この絶景を二人占め。なんか特別だね」
「なかなか貴重な体験だな」

墓標のように佇む彼に、わたしはにこやかに笑った。
思考の海に聞こえてくるのは波の音だ。
余韻には浸るには程遠いと、わたしの心を揺り起こす。

「ねえ、聞いてもいいかな?」

わたしはせがむように尋ねる。

「あなたはだれですか?」

それは『彼』にとって、予期せぬ唐突な質問だったのかもしれない。

「それ、言わないとダメ?」
「ダメなの! 君が誰なのか、知りたいから!」

きっぱりと言い放つと、目の前の男の子が戸惑っているのを感じた。

「だって、わたしが君を知ろうとしなければ、誰も君を君だと気づいてくれなくなってしまう。そんなふうにして、本来の君は消えてしまうんじゃないかな」
「冬華らしいな」

知っている彼と同じ顔がそこにある。
名を呼ぶ声も、その声音も心地良い。
ときおり、目が合えば、優しく微笑む瞳など、知った存在を見た気がして目眩もするほどだ。
だけど、わたしは気づいていた。
目の前の男の子が、わたしの知っている彼とは、どこか違っていることを。

「安東渚」

そう答えた彼の声は変わらず、明るい。
いつも味方でいてくれた幼なじみと、同じ名前を彼は口にした。

「ふふふっ……君、うそ、下手だね」
「そうかもしれないな」

意気地なしのわたしに、意気地なしの君が笑う。

「今日、教えてくれなくてもいい。明日でもいい。でも、いつか絶対に教えてほしい。そうしないと、君と過ごした時間は戻ってこないような気がするから」
「俺が誰なのかは、明日になれば分かるよ」

渚くんと同じ笑顔で笑う彼の姿は、わたしの心をかってないほどに惹きつけた。

「本当?」
「ああ」
「明日、絶対だからね!」
「約束するよ」

わたしたちは指切りを交わす。
どんなことでも約束という誓いを口にするだけで、それは特別になるんだ。
夏の空で一番に見つけた星のような。
大事な宝物のような。
幼い頃から抱きしめてきたぬいぐるみのような。
何の変哲のない事柄が、一気に特別に仕立て上げられる気がした。
だから、この指切りも特別なもの。

(彼と……もっともっと一緒に過ごしたい。彼のそばにいることを諦めなきゃ、必ず幸せはやってくるから)

夢の終わりを知らせるように、一番星がぽつりと浮かんでいた。
まるでわたしの気持ちと呼応しているみたいな空だ。

渚くんがまだ、生きていた頃、一緒に過ごせる時間が多くて毎日が楽しかった。
あの頃に戻れたら……なんていうのは不可能だって分かっている。
彼の代わりなんていない。
 そんなのは分かっている。

だったら、目の前にいる渚くんそっくりな彼はだれなのか?

事態は複雑なようで、とてもシンプルだ。
とりあえず、現状はこう考えれば、当たらずも遠からずだと思う。

(月果て病の奇跡)

それはわたしの心に突如、もたらされた一つの小さな光のようだった。

「にゃー」

その時、一匹の猫が海岸に紛れ込む。
不思議そうに、そっとわたしたちに近づいてくる。
その様子が、わたしには何だか、神聖なものに感じられた。
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