猫は、その恋に奇跡を全振りしたい
「麻人、受け取れ。これで元どおりだ」

鹿下くんは念を押すように切り出した。

「これで、安東の未練は晴れる」
「……克也、ごめん。受け取れない」

それに対して、渚くんは首を横に振った。
渚くんの答えに安堵したのも束の間。

「な、渚くん……っ!」

……一瞬、息が止まる。
今まさに未練が晴らされようとしているからなのか、渚くんの身体は透け始めていた。
まるで、この世でのタイムリミットを迎えるように、彼の身体は消えかかっている。
いや、正確には今井くんの身体に戻ろうとしていた。

「やめてーー!! 渚くん、絶対にキーホルダーを受け取らないで!!」

わたしはありったけの声で叫んだ。
身体が粟立ち、胸がいっぱいになって、苦しくて苦しくてたまらなくなる。

「このままじゃ、渚くんが消えちゃう!!」

慟哭が、祭りの喧騒を渡っていく――その時だった。

「にゃー!」
「うわぁっ!」

とんがりボウシをかぶった猫が、鹿下くんに飛びかかった。

「あっ! キーホルダーが!?」

そして、鹿下くんの隙を突いて、キーホルダーを奪った猫はさっそうと人込みの中へと紛れ込んでいく。

「くそー! 逃がすかよ!」
「鹿下くん、待って!!」

鹿下くんはすぐに追いかけようとするけれど、わたしは両手をめいっぱいに広げて引き留める。

「……桐谷」
「鹿下くんが、どうしてそこまで渚くんの未練を晴らしたいのかは分からない。でも、わたしは、わたしの初恋を貫きたい」

初めて夢の中で、渚くんと出逢った時のような衝撃は――時間をかけ、経験を積み重ねて変化し、胸を苦しくさせるほど、強いものへと変わっていた。

「お願い! 鹿下くんの想いを教えて! 鹿下くんの気持ちを無視したくないの! みんなが幸せになれる方法を探すために!」

何が正解かなんて分からないけど、答えはシンプルでもいいかもしれない。

――沈黙があった。

張りつめているようで間延びしているような沈黙。
心が揺れているようで微動だにしない沈黙。
やがて、鹿下くんは何かを諦めたように深い息を吐いた。

「……ああ、もう、俺、何やっているんだよ。結局、また、当てつけみたいに言ったりして……。あー、俺、まじ最低……」

震えた声が飛び出す。
鹿下くんは、まるで後悔の痛みに耐えるようにうつむいていた。
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