猫は、その恋に奇跡を全振りしたい
「ほら、使えよ」

その声があまりに優しすぎて、涙が再び、込み上げてきそうになった。
わたしは唇を噛みしめながらうなずくと、涙まみれの顔を上げた。
今井くんが心配そうな眼差しで、わたしを見つめている。

「あっ、それ汚くないからな。まだ、使っていないし」
「……鹿下くん、ありがとう」

不器用な彼の優しさに、胸がぎゅっと熱くなる。

「もう……一人で泣くなよ……」

どきりとした。
心の中を見透かされたような気がして。
涙が止まらないのは、隣に渚くんがいない寂しさとか、渚くんがいない未来への不安とか、いろんなものがない交ぜになって溢れたせいだ。

「鹿下くん……。渚くん、すごく……怖かったと思う。それなのに、最後まで渚くん、笑ってた……」
「そうだな」

今井くんはゆっくりと言葉を選ぶように、真実を告げる。

「おまえの手を離さない。俺たちで、おまえを幸せにしてやる。今まで……おまえと交わした約束。安東は最後まで、その約束のすべてを果たそうとしていた……」

その思い出の色は、今井くんの胸の中に灯っている。
渚くんの魂が宿った今井くんの半身とはいえ、今井くんには変わりない。
今まで渚くんと過ごした記憶を、彼も共有していた。

「桐谷、おまえは幸せだったか?」
「……うん。幸せだったよ。でも、今は辛い……。渚くんがいない世界がすごく怖いの……」

わたしの気持ちに寄り添うように、今井くんは言葉を選んで切り出した。

「俺はもう、安東のクロム憑きじゃない。それでも、俺は目の前にいる桐谷が好きなんだ」

春の向こう。
今井くんのその告白は、そんなところから聞こえたように感じた。

「返事はいらない。おまえの気持ちは分かっているから」

壊れやすい思い出をなぞるように、今井くんは優しく言葉を紡ぐ。

「おまえはどんなことにも、まっすぐに努力してきただろ。おまえのそういうところ、すげえって思う」

いつものぶっきらぼうな言葉が、今はわたしを強くしてくれる。

「安東も、そんなおまえのことが好きだったんだろうな。だから、今回も負けんな」

今井くんの口調には、必死の想いが滲んでいた。
たとえ、痛みを生じても、苦しみに悶えても。
渚くんの分まで、渚くんが生きられなかった未来を生きなければいけない。
わたしたちには、これからも未来が続いていくのだから。

――どんな未来になるのか、分からない。

だけど、描いていけると信じているから……今は誓いではなく、想いを告げる。

「……うん。わたし……渚くんがいなくても頑張る。寂しさに負けないように、強いわたしになって、もう一度、渚くんに会いに行くよ……!」

『大丈夫』って、ミルちゃんが近くで言っている気がした。
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