隠れる夜の月
◆ ◆ ◆
社長室を出た初子は、足早にエレベーターへと向かいながら、小さく息を吐いた。
「……やはり、いないのね」
夫である和志の秘書によれば、拓己は「本日は外回りで直帰の予定」とのこと。
まるでタイミングを見計らったかのような不在だった。
(いつまで逃げる気なの、あの子は)
肝心なことを後回しにし続ける癖は、まるで変わっていない。
物心ついた頃から、頭の回転の早い子だった。聡明で責任感の強い、跡継ぎにふさわしい息子。周囲からはそう評価されてきたし、初子自身もそう思ってきた。
だからこそ、大切な跡取り息子の結婚については、早くから気を配ってきた。
長倉の家にふさわしい嫁を。次の跡継ぎの母として不足のない娘をと。
しかし拓己は、そんな初子を疎んじるように、数年前に家を出た。孫の顔が見たいと急かしても「姉さんの子がいるだろ」と素っ気ない。
もちろん、娘である綾子の子供も、可愛い孫だ。だがあくまでも外孫で、長倉家に関わる立場ではない。
拓己もすでに三十歳を過ぎた。子供の一人や二人、いてもおかしくはない年齢だ。
一日でも早く、それを現実にする必要がある。家のため、そして会社のために。
(私が動かなければ、何も変わらないのよ)