お嬢様、庭に恋をしました。

笑顔のフリして、ほんとは

気温は少し下がり始めていて、空気はほんのり秋の気配をまとっていた。
 
舞花は、リモートワークしてても仕事が手につかず、庭に出るタイミングを見ていたが、
夕方になり玄関脇の鏡で髪を直すと、マグにカフェラテを注いで、庭に出た。
 
(……昨日のこと、引きずってない。うん、引きずってない)
 
そう唱えながら。
 
──言葉をかわしたわけじゃない。
ただ、ほんの少し、気持ちがすれ違っただけ。
大丈夫。大人なんだから。
 
……なのに、
白いベンチの前に立つ足は、ほんの少しだけ重たかった。
 
その視線の先。
剪定していた悠人が、こちらに気づいて、ふと手を止める。
 
「……こんにちは」

「こんにちは。……今日も剪定ですか?」

「はい。風で枝が少し折れてたので」
 
いつもと同じトーン。
なのに、昨日のあの言葉が舞花の頭をよぎる。
 
──「住む世界が違うんだなって」
 
(わたし、ただ……話したかっただけなのに)
 
けれど、ここで空気を変えるのは、わたしの役目。
 
だから、笑った。
 
「……昨日、ちょっと強く言っちゃってすみません。
なんか、仕事で疲れてたのもあって」
 
「……そうだったんですね」
 
「はい。あと、最近ちょっと寝不足で。夢見が悪くて」
 
「どんな夢ですか?」
 
「……なんか、庭に雑草がびっしり生えてて、“これはあなたの心の乱れです”って椎名さんに言われる夢」
 
「……それは、怖いですね」
 
「でしょ!? しかも私の顔にまで苔が生えてて、起きたらめっちゃ肌チェックしましたから」
 
思わず笑いながら話すと、
悠人の口元が、ほんの少しだけやわらいだ気がした。
 
──ああ、これ。
これが、わたしたちの日常だった。
 
「……昨日のこと、気にしてないので」
 
それは、舞花が出した“わたしは大丈夫”というサインだったけれど。
 
悠人はしばらく何も言わず、風に揺れる枝を見上げたまま、ぽつりとつぶやいた。
 
「……ありがとうございます。そう言ってもらえると、助かります」
 
その“助かります”に、なぜか少しだけ、胸が痛くなった。
 
(なんでだろう。
ちゃんと、わたしが笑って、空気を戻したはずなのに)
 
マグの中のカフェラテはまだ温かかったけれど、
心の中に浮かんだ波紋は、ゆっくり沈んでいかなかった。

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