お嬢様、庭に恋をしました。

言わなかっただけで、本当は

作業用ハサミを研いでいた手が、
いつの間にか止まっていた。
 
──「そうですよね。椎名さんにとっては、わたしもただの“お嬢様”ですもんね」
 
あの時の舞花の笑顔。
作られたみたいに、綺麗で、柔らかくて、
でも、どこか泣きそうだった。
 
その顔が、ずっと頭から離れない。
 
「パーティーか何かでお忙しいかと」なんて言わなければよかった。
「住む世界が違う」なんて、
ほんとは、思ってなんかいなかった。
 
──いや、思おうとしてただけだ。
 
そうでもしないと、
あの距離を、どう埋めていいのかわからなかったから。
 
ふつうの恋なら、たぶん簡単だった。
でも、彼女は“有栖川舞花”だ。
 
名を聞いただけで、頭を下げる人がいて、
パーティーの場で自然に振る舞えて、
誰からも「育ちの良さが滲んでる」って思われるような、そんな存在。
 
自分なんかが、
庭の隅で土をさわってる自分なんかが、
気安く踏み込んでいい場所じゃないと思ってた。
 
……でも、
庭で話してるときの舞花は、
そんな肩書きなんて、一度も見せなかった。
 
ふざけたり、
笑ったり、
ツッコんできたり、
虫を見て驚いたり。
 
ただ、目の前にいる“女の子”だった。
 
(──それを、突き放したのは、俺のほうだ)
 
彼女の足音が、ベンチを離れる音が、
なぜあんなにも、静かに響いたのか。
 
なぜ、自分がそれを追わなかったのか。
 
──“気にしてた”って、
一言だけでも言えばよかった。
 
それだけで、
あんな顔をさせずに済んだのに。
 
風が、白いアナベルの花を揺らしていた。
 
声にならなかった言葉たちは、
今日も、どこにも届かないまま。
 
──言わなかっただけで、本当は。
 
……あんなふうに笑ってほしくなかった。

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