お嬢様、庭に恋をしました。

この手が覚えてるなんて、ずるい

雨上がりの朝。
今日も俺は有栖川家の庭にいる。
庭の空気は湿っていて、ローズマリーの香りが強く残っていた。
 
剪定用のはさみを取りにいこうとした瞬間、
ふと、左手の感覚がよみがえった。
 
──肩に、そっと添えた手。
 
一瞬だった。
ほんの一瞬、あの人の肩に触れただけ。
 
でもその感触が、まだちゃんと残ってる。
 
「……っ」
 
軍手をはめる指先に、力が入った。
 
あれはただのとっさ。
夜の庭、足元が暗くて、段差が危なくて。
言い訳はいくらでもできる。けど。
 
(ほんとは──それだけじゃなかった)
 
誰かが転びそうになったときに反応する速さなんて、
人によって違う。
 
たぶん、自分は──
“気づいてしまっている”相手にしか、ああいう反応はしない。
 
「……ほんと、ずるいな」
 
この手が、覚えてるなんて。
 
作業に集中しようとしても、
アナベルの白が昨日より鮮やかに見える気がして、視線が定まらない。
 
彼女は、
昨日も、笑ってた。
 
気まずさをなかったことにするみたいに、
わざと明るいトーンで、「気にしてないので」なんて言って。
 
──あれは、笑顔じゃなくて、“フリ”だった。
 
自分が突き放したあの日から、
ずっと、何かが揺れたままになっている気がする。
 
「……あの人が、庭に来るたびに、
俺が少し、期待してるのが厄介だ」
 
仕事だから。
庭を整えるのが、自分の役割だから。
 
そう言い聞かせるたびに、
“じゃあ、なぜこんなにも姿を探してしまう?”と、心が問い返してくる。
 
もうすぐ、作業が終わる。
ベンチの上に彼女の姿があるかどうか、それは──
 
今日、この手が、また何かを覚えてしまうのかどうかに、かかっているのかもしれない。

< 41 / 85 >

この作品をシェア

pagetop