【番外編】イケメン警察官、最初から甘々でした。
仕事帰りの空気は、ほんのり夕暮れに染まり始めていた。
ビルの間をすり抜ける風はまだ春の名残をとどめていて、肌を撫でるように優しかったけれど――

美香奈の胸の奥は、ずっと冷たいままだった。

(……会いたい)

その想いが、胸の奥で静かに膨らんで、やがて言葉にもできないほど重くなったころ。
ぽろぽろと、音もなく涙が頬を伝い始めていた。

歩道の端をうつむきながら歩くその姿は、どこか影を落としていて――
ふと、目に入ったのは、かつて涼介が勤務していた交番だった。

その前に立っていたのは、制服姿の長谷川。
涼介の同期であり、時々おちゃらけているが仲間思いの優しい警察官だ。

彼はすぐに美香奈の異変に気づいた。

「橋口さん!?どうされましたか! 何か……ありましたか!?」

驚いたように駆け寄ってきた長谷川に、美香奈はハッと顔を上げ、慌てて涙を手の甲で拭った。

「……ごめんなさい、なんでもないんです。ただ……」

言いかけて、また言葉が詰まる。

長谷川は眉をひそめながらも、柔らかく声をかけた。

「ただ?」

それが合図のように、美香奈の中に押し込めていたものが、ぽろぽろと溢れ出す。

「……涼介くんが、仕事でぜんぜん会えなくて。もう何日も……洗濯物しか触ってなくて……
 声は聞けても、顔も見られなくて……寂しくて、苦しくて……」

言葉が涙に溶けていく。
こらえきれなくなって、目尻から大粒の涙がぽろぽろと落ちて、止まらなかった。

長谷川は、通勤帰りの人々が行き交うこの時間帯、交差点の前で立ち尽くす彼女の姿に、気を回すようにあたりを見回した。
人の流れの中で泣く彼女を放っておけるはずもなく、彼はそっと美香奈に声をかける。

「……橋口さん、一度落ち着きましょう。人通りも多いですし……
 ちょっと、こっちに。交番、入れますか?」

手を差し出すようなその言葉に、美香奈は頷きながら、涙をぬぐった。
静かな春の交差点に、ただふたりの足音だけが残った。
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