元悪役令嬢、悪女皇后を経て良妻賢母を目指す 〜二度目は息子に殺させない〜
第四章 死に戻りの皇后として
祭りの夜、運命の出会い
一度目の人生、私は多くの人を不幸にした。
なにしろ善良だった日が一日もなかったのだから、当然だ——。
特に女官や侍女、きっと彼女たちは酷い精神状態のまま日々を過ごしたことだろう。
二度目の今、私はそのうちの一人を探している。
毎晩のように私の狂気じみた我儘に付き合わされて、みるみる間に痩せていった彼女を。
——あの日、彼女を私が追い出したあの日
言うまでもないことだけれど、彼女にはいっさい非などなかった。
たまたま翌日の公務について説明を受けていて、たまたま私の機嫌がすこぶる悪かった——ただそれだけのこと。
遠方でしか手に入らない果物を取ってくるよう無理強いした私と、それを受け入れざるを得なかった使用人。往復5時間をかけた彼女の努力は、その果物をテーブルから叩き落とすという私の奇行によって、敢えなく踏みにじられたのだ。
そうして謂れのない責めを負わされた挙句、その末路は首都からの永久追放。もちろんその決定を下したのは他でもない私——皇后クリスティナだった。
こうして自責の念に苛まれながら、私は悶々と記憶を手繰り寄せる努力を続けた。執着心なのか愛情なのか区別のつかない感情に支配されながら、彼女を探すことをやめられずにいたのだ。
けれどそんな日もひと月ほど経った頃だろうか。
彼女について突然に思い出して。
まるでフラッシュバックでもするように、容姿などの記憶が蘇ったのだ。
彼女は赤い髪に琥珀色の瞳を持つ伯爵令嬢で。
右目の下に泣きぼくろのある、とても美しい女性だった。
女官として仕えてくれたのよね。
名前はたしか——アンナ——。
姓は覚えていないところが、悪女だった私らしい。
それにしてもまだ、二度目の今になってもまだ、私は彼女の姿を皇宮で見たことがない。——いったいどこにいるのだろう。
そして何をしているのだろうか。
どうしても会いたい。
会って、他の誰よりも褒めてやりたい。
だって彼女は優秀すぎただけなのだから——。
私の我儘を全て叶えてしまうくらいに。
——帝国の女官は『伯爵家以上の出身者で推薦状を持つ者』と決められているから、彼女を推薦した者がいるはず。
おそらく私が皇后になった時、彼女は皇宮にやってきたのだろう。
女官の選考会議がいずれ行われるだろうから、その時を待つべきかしら。
会うのが楽しみだわ。
◇
——今世、誰も私が二度目の人生を生きているとは知らない。
それは当然のことだから驚くことでもないけれど。
だからこそ舞い込んだ幸運かもしれない。
突然に訪れたお楽しみと一緒に、更なる幸運が待っているとは。
この時の私は想像もしていなかった。
「母上、今日の夜は祭りがあると聞きました」
「そう?あぁ……そうだったわね。忘れていたわ」
「……どうしても行ってみたいんです」
——マリシスはまだ一度も、皇宮の外に出たことがない。
家庭教師を正式にオウルード夫人に任せることが決まって、いつか初外出のタイミングも彼女に相談をしたいと思ってはいたけれど。
「今日がその日かもしれないわね……」
「母上?」
「いえ、なんでもないわ。少し時間をちょうだい」
「わかりました」
かくして、マリシスの『街デビュー』が現実味を帯びたのである。
突如として、想定外のタイミングで。
◇
——マリシス5歳、初めての景色に驚きを隠せない。
念願叶って、母クリスティナと家庭教師のオウルード夫人、私服の護衛騎士たちに付き添われたマリシスは、初めて街に足を踏み入れた。
もちろんもう一つの『はじめて』、お祭りの景色に胸を高鳴らせながら。
馬車から降りて初めの数歩こそ、その小さな手で母の手を握っていたが、なんだか急に自分が大人になったように思えて。
気付くと、皆の数歩前を歩いてやろうという気になっていた。
——その様子は、オウルード夫人にあっさりと見破られて。
「殿下、私たちと離れてはいけませんよ」と制されることになったのだが。
それでもまだ、マリシスの心は勇み立ったままだった。
なにしろ目立つ皇族の面々だ。
この日も市井に降り立つとあって、魔道具で容姿を変えてはいるけれど、それがマリシスの油断につながっては何の意味もない。
オウルード夫人は馬車の中でもずっと——『油断は禁物』をマリシスに教え続けていたのだ。
「母上、あの肉がたくさんつながった食べ物はなんですか?」
「串焼き肉よ。串に刺してあるから……ほら、歩きながら食べている人もいるでしょう?」
「……食べてみたいです」
目の前にある広場には、食べ物を売る屋台がたくさん並んでいて。
小物やら人形、異国の土産物などを売るテントも数多く、祭りを賑わしている。マリシスに串焼き肉を食べさせながら、一つ一つ見て回ることにした。
ちょうど見世物小屋のあたりは騒がしくて、どの店も酒類を扱っていることが見てとれる。オウルード夫人からも『近付くな』の指導を受けたところだ。
そうして少し余所見をしてしまった自覚はあったのだけれど、私のちょうど太腿あたりに何かがぶつかって。——それは小さな男の子だった。
買ったばかりのジュースは全てぶちまけられ、一滴も残さず私のドレスに吸収されたのだから——これはもう、大惨事と言っても良い。
「ご、ごめんなさい……」
「君、大丈夫?」
青い上着の小さな男の子は青ざめて、マリシスの問いかけにも答えられないでいる。シミひとつなかった私のドレス、そのちょうど白い部分ににオレンジ色が広がる様は、必要以上に事を大袈裟に見せたのかもしれない。
見るからに上等な服を纏う私たちを震えながらうかがう様子は、この上なく不憫。上流階級の人間とトラブルを起こしてはいけない、親からそう言われているのだろうか。——大きな琥珀色の目は、既に涙で濡れている。
「よそ見をしていたのだから、私がいけなかったのよ」
私は腰を落として、男の子と視線を合わせた。
そうして私は、一瞬のうちに、これが運命の出会いだと確信したのである。
「ごめんね、ジュースなくなっちゃったわね。新しいジュースを買いましょう。お母様はどちらかしら?」
「……あっち」
男の子について来た私たちは、ある一軒の小さな家の前に立った。
ここがこの子の家、ということなのだろうか。
「ここがあなたのお家?」
「そう、お母さんと二人で住んでるの」
男の子の話し声が聞こえたのだろう。
ドアがギィッと音を立てて、ほんの少し開けられた。
「エル?」
「ただいま、お母さん。お客様がいるんだ」
そう言った息子を抱き寄せるようにして姿を現したのは、彼女だった。
私が追放してしまった女官の彼女——アンナその人だったのだ。
なにしろ善良だった日が一日もなかったのだから、当然だ——。
特に女官や侍女、きっと彼女たちは酷い精神状態のまま日々を過ごしたことだろう。
二度目の今、私はそのうちの一人を探している。
毎晩のように私の狂気じみた我儘に付き合わされて、みるみる間に痩せていった彼女を。
——あの日、彼女を私が追い出したあの日
言うまでもないことだけれど、彼女にはいっさい非などなかった。
たまたま翌日の公務について説明を受けていて、たまたま私の機嫌がすこぶる悪かった——ただそれだけのこと。
遠方でしか手に入らない果物を取ってくるよう無理強いした私と、それを受け入れざるを得なかった使用人。往復5時間をかけた彼女の努力は、その果物をテーブルから叩き落とすという私の奇行によって、敢えなく踏みにじられたのだ。
そうして謂れのない責めを負わされた挙句、その末路は首都からの永久追放。もちろんその決定を下したのは他でもない私——皇后クリスティナだった。
こうして自責の念に苛まれながら、私は悶々と記憶を手繰り寄せる努力を続けた。執着心なのか愛情なのか区別のつかない感情に支配されながら、彼女を探すことをやめられずにいたのだ。
けれどそんな日もひと月ほど経った頃だろうか。
彼女について突然に思い出して。
まるでフラッシュバックでもするように、容姿などの記憶が蘇ったのだ。
彼女は赤い髪に琥珀色の瞳を持つ伯爵令嬢で。
右目の下に泣きぼくろのある、とても美しい女性だった。
女官として仕えてくれたのよね。
名前はたしか——アンナ——。
姓は覚えていないところが、悪女だった私らしい。
それにしてもまだ、二度目の今になってもまだ、私は彼女の姿を皇宮で見たことがない。——いったいどこにいるのだろう。
そして何をしているのだろうか。
どうしても会いたい。
会って、他の誰よりも褒めてやりたい。
だって彼女は優秀すぎただけなのだから——。
私の我儘を全て叶えてしまうくらいに。
——帝国の女官は『伯爵家以上の出身者で推薦状を持つ者』と決められているから、彼女を推薦した者がいるはず。
おそらく私が皇后になった時、彼女は皇宮にやってきたのだろう。
女官の選考会議がいずれ行われるだろうから、その時を待つべきかしら。
会うのが楽しみだわ。
◇
——今世、誰も私が二度目の人生を生きているとは知らない。
それは当然のことだから驚くことでもないけれど。
だからこそ舞い込んだ幸運かもしれない。
突然に訪れたお楽しみと一緒に、更なる幸運が待っているとは。
この時の私は想像もしていなかった。
「母上、今日の夜は祭りがあると聞きました」
「そう?あぁ……そうだったわね。忘れていたわ」
「……どうしても行ってみたいんです」
——マリシスはまだ一度も、皇宮の外に出たことがない。
家庭教師を正式にオウルード夫人に任せることが決まって、いつか初外出のタイミングも彼女に相談をしたいと思ってはいたけれど。
「今日がその日かもしれないわね……」
「母上?」
「いえ、なんでもないわ。少し時間をちょうだい」
「わかりました」
かくして、マリシスの『街デビュー』が現実味を帯びたのである。
突如として、想定外のタイミングで。
◇
——マリシス5歳、初めての景色に驚きを隠せない。
念願叶って、母クリスティナと家庭教師のオウルード夫人、私服の護衛騎士たちに付き添われたマリシスは、初めて街に足を踏み入れた。
もちろんもう一つの『はじめて』、お祭りの景色に胸を高鳴らせながら。
馬車から降りて初めの数歩こそ、その小さな手で母の手を握っていたが、なんだか急に自分が大人になったように思えて。
気付くと、皆の数歩前を歩いてやろうという気になっていた。
——その様子は、オウルード夫人にあっさりと見破られて。
「殿下、私たちと離れてはいけませんよ」と制されることになったのだが。
それでもまだ、マリシスの心は勇み立ったままだった。
なにしろ目立つ皇族の面々だ。
この日も市井に降り立つとあって、魔道具で容姿を変えてはいるけれど、それがマリシスの油断につながっては何の意味もない。
オウルード夫人は馬車の中でもずっと——『油断は禁物』をマリシスに教え続けていたのだ。
「母上、あの肉がたくさんつながった食べ物はなんですか?」
「串焼き肉よ。串に刺してあるから……ほら、歩きながら食べている人もいるでしょう?」
「……食べてみたいです」
目の前にある広場には、食べ物を売る屋台がたくさん並んでいて。
小物やら人形、異国の土産物などを売るテントも数多く、祭りを賑わしている。マリシスに串焼き肉を食べさせながら、一つ一つ見て回ることにした。
ちょうど見世物小屋のあたりは騒がしくて、どの店も酒類を扱っていることが見てとれる。オウルード夫人からも『近付くな』の指導を受けたところだ。
そうして少し余所見をしてしまった自覚はあったのだけれど、私のちょうど太腿あたりに何かがぶつかって。——それは小さな男の子だった。
買ったばかりのジュースは全てぶちまけられ、一滴も残さず私のドレスに吸収されたのだから——これはもう、大惨事と言っても良い。
「ご、ごめんなさい……」
「君、大丈夫?」
青い上着の小さな男の子は青ざめて、マリシスの問いかけにも答えられないでいる。シミひとつなかった私のドレス、そのちょうど白い部分ににオレンジ色が広がる様は、必要以上に事を大袈裟に見せたのかもしれない。
見るからに上等な服を纏う私たちを震えながらうかがう様子は、この上なく不憫。上流階級の人間とトラブルを起こしてはいけない、親からそう言われているのだろうか。——大きな琥珀色の目は、既に涙で濡れている。
「よそ見をしていたのだから、私がいけなかったのよ」
私は腰を落として、男の子と視線を合わせた。
そうして私は、一瞬のうちに、これが運命の出会いだと確信したのである。
「ごめんね、ジュースなくなっちゃったわね。新しいジュースを買いましょう。お母様はどちらかしら?」
「……あっち」
男の子について来た私たちは、ある一軒の小さな家の前に立った。
ここがこの子の家、ということなのだろうか。
「ここがあなたのお家?」
「そう、お母さんと二人で住んでるの」
男の子の話し声が聞こえたのだろう。
ドアがギィッと音を立てて、ほんの少し開けられた。
「エル?」
「ただいま、お母さん。お客様がいるんだ」
そう言った息子を抱き寄せるようにして姿を現したのは、彼女だった。
私が追放してしまった女官の彼女——アンナその人だったのだ。