元悪役令嬢、悪女皇后を経て良妻賢母を目指す 〜二度目は息子に殺させない〜
薔薇と話す少年
「妃殿下!この赤い子は妃殿下のお嫁入りについてきたんですね。一緒にいられて嬉しいって言っています」
温室に入って、開口一番、アンドレが言った言葉がこれである。
その細くて短い指が示すのは、紛れもなく私の薔薇——。
私が実家のクレメント公爵家から譲り受けた品種『クリスティナ』だ。
「エルッ!!」
アンナが焦っているようだけれど、それはあれよね——。
アンドレの発言が、他人に聞かせてはマズイやつだったからよね。
アンナと再会した祭りの夜から二週間が経って。
ドレスのデザイン画が完成したと、アンナから知らせがあった。
心待ちにしていた私は、庭園の一角に建てた温室に二人を招待したのだ。
子供が好きそうなお菓子も用意して。
まさかアルまで同席することになるとは、思わなかったけれどね——。
「両殿下にご挨拶申し上げます。本日はお時間をいただき、ありがとう存じます」
そう言ったアンナの後に隠れるように、アンドレが立っている。
たまに目を瞑っては、深呼吸をして。
——さっき注意されたのが気まずいのかしら?
「アンドレ、ご挨拶なさい。練習したでしょう?」
「両殿下にご挨拶申し上げます。アンドレ・エル・カ……」
アンドレは、自分が今は平民であることを気にしたようだ。
最後まで名乗らなかったのを聞いて、アルが気遣ったけれど——。
「アンドレ、よく来たね。エルと呼んで良いのだったか?……それにしても久しいな、アンナ。そなたのことは気になっていてな。今日は同席させてもらうことにしたよ。思いのほか元気そうだ」
アルの穏やかな声と表情は、たちまち空気を和らげた。
人たらしの本領発揮である。
この対面に備え、アルが同席する理由は聞いてあった。
アンナが、なかば後継者の地位を奪われるかたちで伯爵家を追い出されたことも。
本来であれば、この親子にこそ『カルセル』と名乗る資格があったはず。
いったい何故、こんなことになったのか。
詳しいことは貴族の間でも知られていなかった。
「皇太子殿下、お気遣いを有難う存じます。妃殿下とのご縁も賜りまして。こうしてお目にかかれましたこと、大変光栄でございます」
アルが再び口を開こうとしてやめるのを見て、彼と同じ方に視線を移すと、そこには熱心に薔薇を観察するアンドレの姿があった。
大人の挨拶や話に飽きたのだろう、いつの間にか花を眺めに行ったらしい。
ここは私が管理する温室で、薔薇だけの温室にしようと決めたのも私だ。
赤や白、黄色の一般的な品種だけでなく、皇室が配合した青や紫の品種まで。さまざま集めて美しく仕上げてもらった自慢の温室だ。
それにしても、さっきの発言には衝撃を受けたわ。
だって、エルの言うことには間違いがない上に、薔薇が話しているって——。
殿下も私の手を握り始めたってことは、衝撃を受けたんだろうし。
「大変失礼を致しました。先ほどの話は、子供の遊びのようなもので……」
「いや、違うだろう?……心配するな。例え異能だとしても、政治利用だとか迫害など考えたりしないからさ」
「は、はい。……実は、あの子には……植物の言葉が聞こえるらしいのです」
アンナの言葉を聞いて、私たちは一瞬、言葉に詰まった。
けれど『心配するな』とアルも言ってあげたのだし、ここは余裕を感じさせないとね。
「まぁ……そうなの。実は私も最近、魔力量が多いと分かって。ねぇ?殿下」
「あぁ、あの時もけっこう衝撃だった。神殿も驚いたくらいだったからな」
「そうですか。お二人のように理解のある方ばかりだと良いのですが……」
そう言うとアンナは、しばし考え込んでいた。
話して良いか迷っているかのように。
「……実は、カルセルから追い出された理由も……エルの異能が理由で」
「そうだったの……」
「異能と言っても『植物と話ができる』……そんな程度ですから、精神疾患を疑われて。気持ちが悪いだけだと言われたんです。実の父親でさえ、あの子を忌み嫌うようになりました」
「婿入りしたルミナンド子爵の次男だったか?」
「はい、私と結婚してフェリペ・カルセルになった男です。彼は来る日も来る日も意地の悪い視線をエルに浴びせました。そのうち子供心にストレスを感じたのでしょう。広範囲に及ぶ皮膚疾患を発症してしまって。それで離婚を決めました」
「そうだったか……。これは同情などではなく、そなたの実力を買っての提案なんだが、俺の妃の専属仕立て師になってもらえないだろうか。新しく作る職だからね……不便も多いかもしれないが。考えてみて欲しい」
当然のことながら、アンナは驚いていた。
けれど、こちらの条件を伝えると前向きになって。
「わかりました。支度をしてお待ちし致します」
アンナとアンドレには、城内に住まいを提供する条件だ。
親は仕事を得て、子は学びの場を与えられる。
これも全て、皇太子のアルが決定してくれたことで。
彼がいなければ、簡単に提案できることではなかった。
だからこそ二人には、この機会を活かして欲しい。
自分達に相応しい生活の基盤を整えて、未来を掴んでほしい。
私はそう思っている。
ひととおりの話が終わったところで、私はアンドレの横に腰をかがめた。
青と紫の薔薇を指差し『この子たちも何か言っている?』と聞いてみる。
「はい、皇太子殿下がとっても好きと言っています。優しいって。妃殿下のために青い子と紫の子を作ったんですね」
「まぁ……そうよ、その通りよ。殿下は、毎朝ここから薔薇さんを連れてきてくださるの」
私はアルにも何か言って欲しくて、視線を移してみたのだけれど——。
アルは完全に言葉を失って、返事どころではなくなっていた。
「これで、エルの能力が確かだと分かったわね。この薔薇の話は、私たちしか知らないもの」
そう言って話を区切る一方で、私はアンドレに明るい未来を感じた。
温室に入って、開口一番、アンドレが言った言葉がこれである。
その細くて短い指が示すのは、紛れもなく私の薔薇——。
私が実家のクレメント公爵家から譲り受けた品種『クリスティナ』だ。
「エルッ!!」
アンナが焦っているようだけれど、それはあれよね——。
アンドレの発言が、他人に聞かせてはマズイやつだったからよね。
アンナと再会した祭りの夜から二週間が経って。
ドレスのデザイン画が完成したと、アンナから知らせがあった。
心待ちにしていた私は、庭園の一角に建てた温室に二人を招待したのだ。
子供が好きそうなお菓子も用意して。
まさかアルまで同席することになるとは、思わなかったけれどね——。
「両殿下にご挨拶申し上げます。本日はお時間をいただき、ありがとう存じます」
そう言ったアンナの後に隠れるように、アンドレが立っている。
たまに目を瞑っては、深呼吸をして。
——さっき注意されたのが気まずいのかしら?
「アンドレ、ご挨拶なさい。練習したでしょう?」
「両殿下にご挨拶申し上げます。アンドレ・エル・カ……」
アンドレは、自分が今は平民であることを気にしたようだ。
最後まで名乗らなかったのを聞いて、アルが気遣ったけれど——。
「アンドレ、よく来たね。エルと呼んで良いのだったか?……それにしても久しいな、アンナ。そなたのことは気になっていてな。今日は同席させてもらうことにしたよ。思いのほか元気そうだ」
アルの穏やかな声と表情は、たちまち空気を和らげた。
人たらしの本領発揮である。
この対面に備え、アルが同席する理由は聞いてあった。
アンナが、なかば後継者の地位を奪われるかたちで伯爵家を追い出されたことも。
本来であれば、この親子にこそ『カルセル』と名乗る資格があったはず。
いったい何故、こんなことになったのか。
詳しいことは貴族の間でも知られていなかった。
「皇太子殿下、お気遣いを有難う存じます。妃殿下とのご縁も賜りまして。こうしてお目にかかれましたこと、大変光栄でございます」
アルが再び口を開こうとしてやめるのを見て、彼と同じ方に視線を移すと、そこには熱心に薔薇を観察するアンドレの姿があった。
大人の挨拶や話に飽きたのだろう、いつの間にか花を眺めに行ったらしい。
ここは私が管理する温室で、薔薇だけの温室にしようと決めたのも私だ。
赤や白、黄色の一般的な品種だけでなく、皇室が配合した青や紫の品種まで。さまざま集めて美しく仕上げてもらった自慢の温室だ。
それにしても、さっきの発言には衝撃を受けたわ。
だって、エルの言うことには間違いがない上に、薔薇が話しているって——。
殿下も私の手を握り始めたってことは、衝撃を受けたんだろうし。
「大変失礼を致しました。先ほどの話は、子供の遊びのようなもので……」
「いや、違うだろう?……心配するな。例え異能だとしても、政治利用だとか迫害など考えたりしないからさ」
「は、はい。……実は、あの子には……植物の言葉が聞こえるらしいのです」
アンナの言葉を聞いて、私たちは一瞬、言葉に詰まった。
けれど『心配するな』とアルも言ってあげたのだし、ここは余裕を感じさせないとね。
「まぁ……そうなの。実は私も最近、魔力量が多いと分かって。ねぇ?殿下」
「あぁ、あの時もけっこう衝撃だった。神殿も驚いたくらいだったからな」
「そうですか。お二人のように理解のある方ばかりだと良いのですが……」
そう言うとアンナは、しばし考え込んでいた。
話して良いか迷っているかのように。
「……実は、カルセルから追い出された理由も……エルの異能が理由で」
「そうだったの……」
「異能と言っても『植物と話ができる』……そんな程度ですから、精神疾患を疑われて。気持ちが悪いだけだと言われたんです。実の父親でさえ、あの子を忌み嫌うようになりました」
「婿入りしたルミナンド子爵の次男だったか?」
「はい、私と結婚してフェリペ・カルセルになった男です。彼は来る日も来る日も意地の悪い視線をエルに浴びせました。そのうち子供心にストレスを感じたのでしょう。広範囲に及ぶ皮膚疾患を発症してしまって。それで離婚を決めました」
「そうだったか……。これは同情などではなく、そなたの実力を買っての提案なんだが、俺の妃の専属仕立て師になってもらえないだろうか。新しく作る職だからね……不便も多いかもしれないが。考えてみて欲しい」
当然のことながら、アンナは驚いていた。
けれど、こちらの条件を伝えると前向きになって。
「わかりました。支度をしてお待ちし致します」
アンナとアンドレには、城内に住まいを提供する条件だ。
親は仕事を得て、子は学びの場を与えられる。
これも全て、皇太子のアルが決定してくれたことで。
彼がいなければ、簡単に提案できることではなかった。
だからこそ二人には、この機会を活かして欲しい。
自分達に相応しい生活の基盤を整えて、未来を掴んでほしい。
私はそう思っている。
ひととおりの話が終わったところで、私はアンドレの横に腰をかがめた。
青と紫の薔薇を指差し『この子たちも何か言っている?』と聞いてみる。
「はい、皇太子殿下がとっても好きと言っています。優しいって。妃殿下のために青い子と紫の子を作ったんですね」
「まぁ……そうよ、その通りよ。殿下は、毎朝ここから薔薇さんを連れてきてくださるの」
私はアルにも何か言って欲しくて、視線を移してみたのだけれど——。
アルは完全に言葉を失って、返事どころではなくなっていた。
「これで、エルの能力が確かだと分かったわね。この薔薇の話は、私たちしか知らないもの」
そう言って話を区切る一方で、私はアンドレに明るい未来を感じた。