元悪役令嬢、悪女皇后を経て良妻賢母を目指す 〜二度目は息子に殺させない〜

未来の女性騎士と言葉を話す猫

「帝国の月、皇后陛下にご挨拶申し上げす。ダリア・グリーンレイズでございます。本日はご訪問、ありがとう存じます」

 小さな身体を目一杯大きく使って、ダリアは丁寧にお辞儀をした。
 小さな膝を曲げ、もう一方の脚を後ろに引いて——。
 完璧なカーテシーだ。

 そこにいる皆が息を呑むほど、彼女はそれほど愛らしい少女で。
 正直なところ、私は度肝を抜かれた。

「ダリア、とっても美しい挨拶でしたよ。こちらこそ今日は会えて嬉しいわ」
「ありがとうございます!」

 ダリア・グリーンレイズ男爵令嬢
 彼女は透けるような金色の髪と、琥珀色の瞳を持つ美しい少女だ。
 まだ未完成な身体はしなやかで、幼い頃から剣を握っているとは思えない容姿が印象的である。

 そして私が今日、わざわざここを訪れた理由の一つ。
 それは、これからやって来るはずのダリアの父親と『偶然に』対面するためだ。

 一度目の記憶が正しければ、ダリアの入学初日、入学書類を父親の男爵が届けにくるはず。

 ダリアの父親——ヴィクトル・グリーンレイズ男爵、彼は領地における小麦の収穫量を3倍にまで増やした男で。それは一昨年の出来事である。

 彼の父親——先代のグリーンレイズ男爵は学者でもあり、小麦について研究していたが、志し半ばで死去。想定外の早逝に、研究の行方は不透明になった。

 そうして領民も不安を抱えるなか、ヴィクトルは父親の死後も研究を諦めず、引き継いだ検証をもとに、小麦の収穫量を3倍にまで増やして見せたのだ。

 これは立派な文勲であり、皇室からも讃えられて然るべき功績だろう。

 あと数ヶ月もすれば、グリーンレイズ領の小麦が、私たち皇族の口にも入るようになる。私はそのタイミングを待って、アルに推薦しようと考えているのだ。

 それにはまず、人柄もよく見ておかないと。

「グリーンレイズ卿がお見えになりました」

 ノックの音が響き、男爵の到着を知らせる声が続いた。

「……これは、陛下。帝国の月、皇后陛下にご挨拶申し上げます」

 入室したグリーンレイズ男爵は、驚愕の色を浮かべながらも、好奇心に溢れる瞳を輝かせて。そうして次にダリアへ視線を移すと、慈愛に満ちた笑みを浮かべるのだった。

「丁寧な挨拶をありがとう。こちらこそ会えて嬉しいわ。今日は未来の女性騎士に激励を伝えたくてね。これからおしゃべりを楽しもうとしていたところよ」

「ダリア、光栄なことだな」

「…………陛下、先日の大会で皇帝陛下とお話しをする機会を賜りました。その時、皇后陛下が猫を可愛がっておられるとお聞きして……私と同じだなって」

 しばらくもじもじとした後、ダリアは思い切ったように猫の話題を持ち出した。勇気のいることだっただろうに、なんとか私と話そうとする姿に心を動かされた。

「ええ、そうなの。もうずいぶんと長生きをしていてね。私が5歳の12月に出会った猫なのよ。垂れ耳の三毛猫で、ノエルと名付けたわ。貴女の猫ちゃんは?」

「うちの子は、黒猫で。畑で親と離れて鳴いているのを、父が連れ帰ってくれました。大切な家族です」

 制服のポケットからハンカチを取り出すと、ダリアはそれを広げて。
 私に四隅を見せて「私が刺繍したんです」と黒猫の刺繍を指差した。

 あまりに可愛らしくて、私は久しぶりに笑った。
 本当に久しぶりに——。

 死に戻ってすぐの頃、私は一つの思い違いをしていた。
 もう二度目なのだから、これからは笑顔で生きられる。
 一度目のことは終わったのだから、家族と新しい関係を築いて笑顔で暮らせる。

 でもそれは、全くの思い違いだった。
 私は思った以上に、自分でも意外な程に、笑えなかったのだ。
 友達と談笑する——そんなことですら、自然にはできなかった。

 ただでさえ、一度目の記憶に縛られる瞬間があるというのに。
 二度目の今回もまた、妃教育においてまで、言われ続けてきたから。

 ——『容易にお気持ちを悟らせてはいけません』

 アルと一緒にいる時でも、この記憶と言葉に縛られる。
 だから私は今、自然に笑えたことが本当に嬉しかった。

「ありがとう、ダリア。……久しぶりに笑ったわ。必ず騎士団に加わって、ノエルに会いにいらっしゃい。約束よ?」

 こうしてダリアと男爵、私の関係性は『始まり』を迎えた。
 互いの『血』と『地』を守り、強固にするための始まりを——。

 ◇

 城の自室に戻ると、私はノエルを膝に乗せた。
 ゴロゴロと喉を鳴らす姿は、いつもどおりで。
 少しぽちゃっとした姿は、老猫の衰えを感じさせない。

 私はダリアと話している時、突如として気になり始めた。
 ノエルが普通では考えられないほど元気に、何一つ変わらぬ姿で長生きしているということを——もう18年以上もの時間を。

「ねぇ、ミサ。あなた……ノエルに何か特別なケアをしていたりする?」

「……?いえ、何も……。たまに紐を丸めたおもちゃで遊んで差し上げるくらいでしょうか。お水も普通のお水ですし……特別なことは思い当たりません」

 ミサは私の専属侍女で、私が皇城に住まいを移したその日から仕えてくれている。だからノエルとの付き合いも長いわけで。

「そう……彼女がいてくれるのが、あまりにも普通のことで。年齢や衰えのことなんて、考えたこともなかったから。ちょっと気になってね」

「でも、気になることはあるんです……。陛下のお召し物をご用意するとすぐ、ノエル様が必ず……その日の宝石に鼻を寄せて。数十秒、動きを止められるんです」

「……え?いつから??」

「この城で過ごされるようになった初日からです。てっきり陛下の匂いを確かめておられるのかと思っていたのですが、それもまた違う気がして……」

 私はいつものように、ノエルに話しかけた。

「ノエル、あなた……何をしているの?」

『ふん、何よ今さら……。ティナが自分で気付いたら教えてやろうと思っていたのに!!』

「ミサ、今の声……聞こえた?」

「私には何も……。陛下には何か聞こえたのですか?」

 こうして私は、にわかには信じ難い出来事を経験したのだ。
 猫のノエルと私が、なんの魔道具の助けもなく意思疎通を図れるという、信じ難い経験を——。
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