【番外編】SP 橘は、“甘やかし専門医”です
執務室の窓から射し込む午後の光が、重厚なデスクの上に斜めに差し込んでいた。
一ノ瀬大臣は、新しく当選した新人議員の名簿に視線を落としながら、静かに口を開いた。

「……紗良はな、中学生の頃からだったんだ。妻が病気で入退院を繰り返すようになってから、あまり甘えられなくなってな」

向かいのソファ付近に立つ旗野が、静かに耳を傾けている。
一ノ瀬はページをめくる手を止めて、どこか遠くを見るように目を細めた。

「俺もその頃は忙しくてな。国会、視察、会合、ひっきりなしだ。親子で話す時間なんて、ろくに取れなかった。……だからだろうな。外ではしっかりしてるが、我慢しすぎたり、子どもっぽいところがまだ残ってるよ」

旗野は一瞬、口を閉じてから、穏やかな口調で返した。

「ええ、よくわかります。……警護中もそうでした。切迫した状況では、表に出さないようにしていましたが、内面では不安が大きくて。どうにもならない感情に、ただ耐えていたことが多かったです」

一ノ瀬が眉をひそめる。その目は、ただの政治家の目ではなく、父親としての色を帯びていた。

「……橘と松浦、そして君も、よく支えてくれた。君たちがいなければ、きっと乗り越えられなかったんでしょうね」

旗野の言葉に、一ノ瀬は小さくうなずいた。そしてふと、思い出したように言った。

「橘と紗良……あいつら、どうしてる?」

「橘さんは、つい先日までアメリカでした。早川環境大臣の国連サミット出席に同行して。補助要員だったので、移動支援が中心でしたが、半月ほどの長期出張でしたね」

旗野のその説明を、後方でひときわ真剣な眼差しで聞いている者がいた。

村上――新たに要人警護の研修としてチームに加わった女性警護官だ。背筋を伸ばし、表情ひとつ動かさずに、だがその目だけは鋭く、旗野と一ノ瀬の会話の一語一句を逃すまいと見つめていた。

彼女のその視線に気づいたのかどうか、一ノ瀬は再び書類に視線を落としながら、ぽつりとつぶやく。

「……娘のことは、親よりも、あいつの方がよっぽど見てるかもしれんな」

場に一瞬、静けさが降りた。
それは、重くも、温かい静寂だった。
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