【番外編】SP 橘は、“甘やかし専門医”です
帰宅すると、紗良はソファの前に置かれた紙袋を見つけて、ぱっと顔を明るくした。

中に入っていたのは、銀座〈グラニースミス〉のアップルパイ——サクサクのパイに、甘酸っぱい煮りんごとシナモンの香りが広がる、紗良の大好物だった。

「これ……」
紗良が目を丸くすると、航太は少し得意げに
「よく頑張りました、のご褒美」
と頭をポンポンと撫でた。

紗良はくしゃっと笑って、パイにフォークを入れ、一口。
「……しあわせ……」
と小さく呟いて、さらにもう一口頬張る。

航太はその様子を横目に、心の中で苦笑した。
(スイーツ一つで機嫌が直るなんて、ほんとちょろいやつだな)
だがそのちょろさも含めて、愛おしいと思う自分がいた。

シャワーを終えてリビングに戻ると、紗良はソファに座ったまま、うとうとしていた。
航太はその横に腰を下ろし、そっと声をかける。
「ここで寝たらダメだよ」
紗良は薄く目を開けて、
「……お腹、痛い……」
と呟いた。

航太はすぐに顔を覗き込む。
「どう痛いの?」
「……刺したところ……」
と答える紗良に、航太はようやく少し安堵して息をついた。 

(なんだ、検査したとこが痛いだけか)

「そりゃ、痛いよ。麻酔、切れてるからね」
淡々と返すと、紗良は眉を寄せて
「痛いの無理だから、なんとかして……」
と無理を言う。

「それはどうにもできないよ」
航太が正論を返すと、紗良は不満げに小さな声で、
「ヤブ医者……」
と呟いた。

その瞬間、航太はゆっくり体を起こして、じっと紗良を見る。
「今、なんて言った?」
紗良は笑ってごまかしながら、
「なんでもない〜」
と顔を背ける。

航太は黙ったまま、紗良の耳たぶに指を添えて、何度かなでつけた。
「……ふう」
紗良は思わず気持ちよさそうに身を捩る。

そのままの体勢でしばらく静かな時間が流れた後、紗良がぽつりと、
「……キスしたい」
と口にする。

航太は目を細め、まるでその言葉を予想していたかのように、
「今日は、そういう気分じゃない」
ときっぱり返した。どこか楽しげな、少しだけ意地悪な言い方だった。

「えぇ〜……」
と唇を尖らせる紗良に、航太は微笑んだまま、やっぱりちょろいな、ともう一度心の中で思った。
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