心地いい風
週の半ば、水曜日。
 仕事がバタバタしていたせいか、夕方あたりから喉に違和感があった。夜には軽く熱っぽくなり、私はお風呂をパスして早めにベッドに入ることにした。

 それを見た千歳くんが、眉をひそめて言う。

「葉月、大丈夫?」

「うん……ちょっと疲れただけ」

「お風呂、入ってないの?」

「今日はいいや……体だるいし」

 その瞬間、千歳くんの顔に“看病スイッチ”が入った。

「ちょっと待ってて。おかゆ作る」

「え、いいよ、そこまでじゃ――」

 言い終わらないうちに、彼はキッチンへ向かっていた。

 しばらくして、梅干しの乗ったおかゆと、冷たい麦茶と、薬までそろって運ばれてくる。

「さすがにフルコースすぎじゃない?」

「うるさい。文句は健康になってから聞く」

 私が笑うと、千歳くんの顔も少しだけほぐれる。
 こんなときでもユーモアを忘れない彼に、改めて「ありがとう」の気持ちがこみ上げた。

 食事を終えてベッドに戻ろうとしたとき、千歳くんが言った。

「ねぇ、髪、乾かしてないでしょ」

「今日はお風呂入ってないから……大丈夫」

「ダメ。昨日の夜、ちょっとシャワー浴びてたでしょ」

「……あ、うん」

「風邪気味のときこそ、ちゃんと乾かさなきゃ」

 まただ。
 そう思いながらも、うれしくて、胸がじんわり熱くなる。

 彼がドライヤーを持ってきて、私をリビングに座らせる。

「今日は寝ちゃってもいいから。目つぶって」

「うん……」

 目を閉じると、耳元で優しい風の音が鳴る。
 熱っぽい体に、その音と温風がやさしくしみ込んでいく。

「……ちゃんと休んで。明日休めそう?」

「うん、連絡すれば」

「じゃあ明日は俺が朝ごはん作る。おかゆ以外も作れるってとこ、見せてやるよ」

「……それはちょっと楽しみ」

「ん?」

「なんでもない」

 ふふっと笑ったら、指先がそっと頬に触れてきた。
 熱を確かめるように、おでこに唇がふれる。

「……びっくりした」

「おまじない」

「子どもか」

「よく効くんだって」

 思わず笑ってしまう。
 なんでだろう、さっきまでの熱っぽさが、少しだけやわらいだ気がした。

「葉月」

「ん?」

「いつでも頼っていいからな。俺に」

 その言葉は、たしかに熱よりもずっと深く、心の奥に届いた。
 涙が出そうになるのをこらえながら、私は小さく頷く。

「……もう、甘えっぱなしだよ」

「いいよ。ずっと俺が甘やかすから」

 そう言って、彼は最後まで丁寧に髪を乾かしてくれた。
 ドライヤーの音が止んで、部屋に静けさが戻る。
 その静けさすら、私にはやさしい音楽に思えた。

 
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