裏切りパイロットは秘めた熱情愛をママと息子に解き放つ【極上の悪い男シリーズ】
 でもその和葉の答えに、彼は納得しなかった。渋い表情でジャケットに突っ込んだ手はそのままである。
「疲れた時の貧血です。……もう大丈夫です」
 そう言って和葉はゆっくりと立ち上がる。
 実際、もうぐらぐらしなかった。
 疲れが出ているのは確かだが、家までは持ちそうだ。
 はっきりと答えた和葉の様子に、ようやく彼は納得したようでポケットから手を出した。そして床に散らばったカトラリーを拾い集めてカウンターへ置いた。
「あ……ありがとうございます」
「業務はもう終わりだな。通勤は電車? バス?」
「で、電車です……」
「自宅は、何駅?」
 突然現れた彼の存在と矢継ぎ早に飛んでくる質問に面くらい、和葉は自宅の最寄りの駅名を答えてしまう。なぜそんなことを聞くのかと疑問に思うより早く彼は頷き口を開いた。
「じゃあ、車で送る」
 その言葉に、和葉は目を剥いた。
「え、そんな……! 結構です。もう大丈夫ですので」
 そんなことをしてもらう義理はない。
 それよりなぜ彼がここに?と、疑問で頭の中がいっぱいになるけれど、とてもそれを聞ける雰囲気ではなかった。
 遼一が和葉の答えに眉を寄せてジャケットから携帯を取り出し和葉に見せた。
「救急車を呼ぶのと、家まで送ってもらうのとどちらがいいか選んで」
 唐突に与えられた二択に息を呑む。答えられないでいると、彼は少し苛立ったように眉を寄せてため息をついた。
「放っておいたらまた倒れるかもしれないのに、この場を離れるわけにはいかないだろう。それとも迎えにきてくれる人がいるのか? ……ご主人とか」
 唐突に出た『ご主人』という言葉に、和葉は困惑して眉を寄せる。すぐに彼とエレベーターで遭遇した際のことを思い出した。彼は啓を樹の父親だと思っているのだろうか。
 一瞬気まずい気持ちになるが、彼の誤解をここで解く必要はないと思い直す。とにかくこの場を切り抜けたい一心で答えた。
「む、迎えにきてもらいます」
「なら今連絡して。迎えにくるまで見届けるよ」
「え……」
 間髪入れず返されて言葉に詰まる。架空の設定のご主人はいないし、おそらく彼が想定している啓も今は飲み会中だ。
 無表情で自分を見つめる遼一に言い訳をする。
「えーっと。やっぱり仕事だと思うので……無理、かな。でも本当に大丈夫です。家まで電車で一本なので。ちょっとした立ちくらみですから」
 そう言ってカウンターの下の鞄を手に取り、エプロンを外す。
 とりあえずカトラリーの始末は明日にしよう。
 HOPHOPのスタッフの制服は白いTシャツに明るい色のデニム、その上にピンクのエプロンだから、通勤するのにわざわざ着替える必要ない。
「ご心配をおかけしました。それでは」
 頭を下げて、彼の脇をすり抜けようとするけれど、またくらっとしてカウンターに手をついた。
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