諦めの悪い外交官パパは逃げ出しママへの愛が強すぎる
 そう言われても、きっと咲良は忘れないだろう。それほど恭平との出会い方は印象的だったのだ。
 それから二人で気に入った詩集の文を読んだ。ところどろこ抜けている文字があるものをクイズを解くように埋めながら、何かを示し合わせたわけではなくごく自然に。
 恭平が一文を読み、そして咲良がその後に続く。囁くような呪文、或いは願い、もしくは睦言かのように。
 いつの間にか二人は吐息が交わるくらいの距離に近づいていて、目が合った途端にドキリと鼓動が乱れ、とっさに咲良は俯いた。
(こ、これは一体……)
 戸惑っている間にも心臓が早鐘を打ちはじめ、この静かな空間に響いてしまいそうなくらい大きくなっていく。初めて経験する感覚に戸惑い、膝のあたりまで震えていた。
「もう少し見ていく? それとも食事に行く?」
「で、できたらそろそろ……お食事に」
 咲良は恭平にせがむように頼んだ。
 ドキドキと駆け足になっている鼓動が治まらない。この音が恭平に聞こえてしまったらと思うと妙に恥ずかしくなってしまったのだ。
「わかった。じゃあまた今度ゆっくり来ようか」
 恭平は満足したように微笑を浮かべる。
 今のはひょっとして次回のデートの機会を取り付けるための手練手管というものでは。
 はた、とそんなふうに思い至ったが、彼はそういうつもりで誘ったわけではないだろう。
 脳内に浮かんだ先輩たちの顔を散らしながら、咲良はひとまず火照った顔を冷ますのが先だと言い聞かせたのだった。


「――君に事前に好みを聞かず、この間の仕事の続きのようで悪いんだけれど」
 そう言って恭平が案内してくれた店は、フレンチレストランだった。
「いえ。フレンチは好きです。なんでも食事はいただけるので」
 それに大使館パーティーの中にいたとはいっても、それこそ仕事中に通訳が食事にありつくことはない。
「好き嫌いはないんだね」
「はい」
「それはいいことだ。今後、色々な料理と出会う機会に恵まれることもあるだろうからね」
 地方で温泉旅館を経営している祖父母の元、また、シングルマザーの母に育てられた咲良は、けして経済が楽ではない家であることを知っていたので食べられるものを粗末にはしなかった。それを差し引いても板前の料理が手料理がどれも美味しかったのに慣れたというのもある。母も料理は好きな方だったし小中学生の頃は手伝いもしていた。
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