諦めの悪い外交官パパは逃げ出しママへの愛が強すぎる
『ああ。いつでも帰ってきていいと言っただろう』
『そうよ。遠慮なんていらないわ。待っているからね』
 二人は咲良が里帰りすることを快諾してくれた。
 今はただ祖父母のあたたかな愛が身に染みてありがたかった。



■4章 新しい道



 道とは、人が一歩踏み出した時から【道】になるものだ。乾いた荒野も生い茂った草原も真っ白な雪原も、人が歩いたから道ができていった。
 右も左も見えない道標のない地に踏み出すのは勇気がいることかもしれない。でも、その一歩が新しい未来への道に繋がっているのならば。
 ある日、咲良はとある和歌集を読んでいた。まもなく臨月になるという時、気持ちを落ち着かせたかったからだ。気になる一文が咲良の心を動かした。やはり本は良い、と咲良は思う。
(私は、新しい道を拓いていかなくちゃ)
 それから――出産予定日の夏、七月半ば頃。
 咲良は実家に近い産院で出産、女の子を授かった。
 娘は【恵茉(えま)】と名付けた。
 茉の意味の一つはジャスミンに由来し、神様からの贈り物という意味もある。彼女が穏やかな幸せに恵まれますように。そんな意味や想いを込めた。
 その後、咲良は祖父母や旅館の仲居たちの助けを借りながら子育てに奮闘しつつ旅館の手伝いに明け暮れた。
 じりじりと陽射しが肌を焼く暑い夏が過ぎ、苦い別れを経験した秋を越え、凍えるような冬の厳しい寒さに耐え、やがてまた恭平と出会ったあたたかな春が巡った。
 穏やかな陽気が肌を包み、やさしいそよ風に吹かれる季節は、四季の中で一番大好きだった。春の桜……咲良の名前に由来することを恭平が誉めてくれたから。彼のことが……大好きだった。
 恵茉が無事に生まれたあとに初めて迎えた春は、そんなふうに恭平のことを度々思い出しながら咲良はそれ以上悲しみや寂しさを胸に抱かないように娘の顔を見つめた。自分の指をぎゅっと握り笑顔を向けてくれる娘を彼の分までやさしく抱きしめた。
 大丈夫。愛する人との宝物はここに在る。そんなふうに想いを温めながら。
 かつて覚悟を決めた日、嘘をついて秘密という名の罪を抱いた。それは咲良がこれからも背負う責任という咎だ。だが、この子にはなんの憂いが訪れることなく幸せで在り続けてほしい。
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