諦めの悪い外交官パパは逃げ出しママへの愛が強すぎる
 心細く感じる日も、どうしようもなく涙が込み上げる日も、育児がうまくいかない日も、祖父母のあたたかさに勇気づけられ支えられた。その愛情に報いるためにも、この子は私が絶対に守っていく。そのつよい気持ちが次第に咲良の何よりの生き甲斐になっていった。
 やがて月日は流れ、恵茉が二歳を迎えた秋頃には中途入園扱いで旅館から二キロ圏内の保育園に預けることにし、それまで実家の手伝いという身分におさまっていた咲良は、ようやくその日から正式な従業員として働きはじめた。
 いつまでも甘えてばかりではいられない。親子共に自立していく必要がある。咲良はよりいっそう強く生きていく覚悟を決めて気合を入れた。
 旅館の手伝いは実家に暮らしていた頃からやっていたので勝手はわかっているぶん働きやすかった。それでも手伝いではなく従業員の一員になるのであれば、仲居たちの邪魔にならないように、そして役に立てるように自分の居場所を見つけていく必要がある。
 そこで、咲良は普段の業務に加えて、旅館にやってきた外国人客の通訳係を担当することになった。
 外国人客が増えてきたという祖父母の話を聞いて、咲良は対応はどうしているのかと実情を聞いた。ある程度の外国語は従業員の皆がマニュアルで習っているけれど、それでもやはり込み入った内容となると対応しきれないことがあるらしい。
 だとしたら、自分の能力を活かせるとしたらそれ以上の役はないだろう。そう思って咲良自らが志願したのだ。その結果、何か外国客の通訳が必要な時は咲良が担当として対応することが決まった。
 ある日の朝、玄関掃除をしていると、桜の蕾が綻ぶ姿に、咲良は思わず箒を持っていた手を止めて空を見上げた。
 三月下旬……今は春休みの時期だ。観光客も日に日に増えてきている。旅館の予約もほぼ満員となっている。一日がはじまる前の束の間に、咲良はぼんやりと想いを馳せていた。
 この地方の桜が開花したということは、東京はとっくに満開になっていることだろう。幾度となく巡ってくる四季のひとつ、春になるたびに相変らず恭平に出会った日のことが思い出される。そして、甘酸っぱい桜餅のあの独特の香りに胸が締め付けられるのだ。
(恭平さん、ごめんなさい。あなたはもうとっくに前を向いているでしょうに。私は今でも私はあなたのことを――)
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