諦めの悪い外交官パパは逃げ出しママへの愛が強すぎる
 恭平が機転を利かせてくれた。咲良はすぐに後ろにいた客に粛々と頭を垂れた。
 どうやら彼はフランスからの賓客に同行してアテンドしていたようだ。ならばやはりかなりのVIP客なのだろう。日本の文化を賞賛するフランス語が熱気を込めて聞こえてくる。すぐに彼は返事をしてそれから名残惜しそうに咲良の方を見た。
「……咲良」
「……っ」
「改めてまた君に会いに来るよ」
 事情をすぐに問い詰めないのは彼らしい。無論、時間がないということもあるかもしれないが。
「必ず」
 恭平はそう言い添えた。
 彼の凛とした姿勢、温かな声音は変わらない。大好きだったやさしげな眼差しも、人の空気を和らげる物腰穏やかな雰囲気も――。
(恭平さん……)
 けれど、もう咲良と交際していた時の彼ではない。二人は別れているのだ。何故、彼がまた会いに来ると言ったのか。
 仕事のことを心配してくれているのだろうか。彼ならばありえると思った。いつだって彼は助けてくれたから。
 さっきだって彼が助けてくれたのに、咲良は御礼さえ言う余裕はなかった。咲良はとっさに背を向けてひとつの空いた客室に飛び込むようにしてドアを閉めた。
 鼓動が激しく波立っている。動揺がいつまでも止まらない。
(どうしよう……)
 ここに居ることは義母ならば逆に教えることはないだろうと思っていた。実際、恭平は驚いていたのだから、咲良はあれからも通訳の仕事をしていると思っていたことだろう。
 彼にばったり会ってしまったこと以上に、自分の気持ちがまだこれほど強く惹かれてしまうことに咲良はショックを受けていた。
 無論、忘れられないまま彼を未だに愛していることは自覚をしていたし、愛しているからこそ彼との子を産んで育てる決意をした。
 でも、彼のことは思い出としていつかはやがて色褪せていくものだと考えていた。
 だってどう足掻こうとも、二人はこの先、結ばれる運命にはないのだから――。
 それなのに、たった一度こんなふうに会っただけで心乱れるくらいに彼を想っていた自分がどうしようもなく哀れで愛おしかった。
(お母さんもこんな気持ちだったのかな……)
 奇しくも咲良は母と同じ道を選んだのだ。
 今のこの気持ちを母に聞けたなら、どんなふうに言ってくれただろうか。
 それから――。
 咲良は気を紛らわすように片づけを済ませて部屋を出た。
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