『夢列車の旅人』 ~過去へ、未来へ、時空を超えて~ 【新編集版】

(6)


 わたしがすることは、先ずチラシを戻すことだった。
 さっきまではみ出していた受け口がすっきりしているのはどう見てもおかしいので、乱雑に突っ込んで元の形のようにした。
 それから、隠れる場所を探した。
 しかし、適当な場所は見つからなかった。
 近くにバス停でもあればバスを待っているような振りもできるし、電話ボックスでもあれば電話している振りもできるのだが、そんなものはどこにもなかった。
 どうしたものかと考えていると、階段を降りる音が聞こえた。
 とっさにアパートに背を向けてスマホを見るふりをした。

 わたしの横を年配の男性が通り過ぎていった。
 チラッと見られた気はしたが、怪しまれたような感じはなかった。
 その人が見えなくなるまで待ってもう一度辺りを窺ったが、隠れる所はなさそうだった。

 困った。
 しかし、どうしようもなかった。
 腕組みをして郵便受けを睨むように見ていると、突然、背後に何かを感じた。
 振り返ると、プレハブの倉庫がわたしを呼んでいるように思えた。
 引き寄せられるように近づくと、塀との間に隙間があるのを見つけた。

 体を入れた。
 入った。
 完全に隠れることができた。
 これなら大丈夫そうだ。

 しかし、ここに隠れたままでは郵便受けで操作する人の手は見えない。
 アパートの住民が戻ってきたらここから出て、操作しているところを見なければならないのだ。

 さ~どうする? 
 怪しまれないようにするにはどうすればいい? 

 しばらく考えたが、答えは見つからなかった。
 無駄なあがきは止めた。
 こんな時は流れに任せるしかないのだ。
 下手の考え休むに似たり、
 その時はその時、
 なるようにしかならない、
 と言い聞かせて倉庫の裏に隠れて待った。

        *

 10分後、誰かが階段から降りてくる音がしたので、息を潜めて姿が見えるのを待った。
 若い女性のようだった。
 赤いハイヒールのバックシャンが目の前の道路を左折していった。

 15分後、誰かが帰ってきた。
 若い男性だった。
 しかし、郵便受けには見向きもせず、階段を二段飛ばしで上がっていった。

 25分後、年配風の女性が帰ってきて、郵便受けに寄った。
 でも、残念ながら、受け口を開けて覗いただけで、ダイヤル操作はしなかった。
 中は空っぽだったのだろうか? 
 その人は1階の奥の部屋に消えていった。

 それから10分経っても誰も帰ってこなかった。
 彼女を35分も待たせていたので痺れを切らしているに違いないと気持ちが焦ったが、どうしようもなかった。
 誰かのダイヤル操作を確認するまではここで待つしかないのだ。

        *

 更に20分ほど経った頃、白髪の男性が帰ってきて、郵便受けに近づいた。
 また顔だけ出して覗くように観察したが、もっと近づかないと手の動きがわからないので、音を立てないようにして老人の斜め後ろに歩を進めた。

 老人がダイヤル錠に手をかけた。
 しかし、まだよく見えなかったので、更に近づいた。
 すると、老人の動きが止まった。
 何かを感じたのだろうか、顔がこっちに向いて、目が合った。
 老人の目の中には〈そんなところで何をしているのか〉という疑心が浮かび上がっているように見えた。
 わたしは頭を掻きながら老人に近づき、努めて平静を装って声をかけた。

「高松さんに用事があって伺ったのですが、いらっしゃらないみたいなので……」

 老人は怪訝そうな表情のまま抑揚のない声を出した。

「高松さんは最近見ないね。音も聞こえてこない」

 ということは隣室に住んでいる人なのだろうか? 

 それなら尚更警戒されないようにしなければならない。
 怪しまれないように気をつけながら言葉を継いだ。

「どこかにお出かけなのでしょうか?」

「さあ~」

 心当たりはないというふうに首を傾げたので、これ以上は話を続けられないと思って、突然思い出したような声を出した。

「あっ、お邪魔してすみません。どうぞ」

 郵便受けの方に手をやって、中断した操作を続けるように促した。
 そして、ダイヤル番号は見ていませんよという振りをするために体を道路の方に向けた。

 それを見て安心したのか、老人が体の向きを変えたような音がした。
 わたしは気づかれないように注意しながら頭だけをさっと動かして、老人の手の動きを観察した。

 老人の手が動いた。
 右に1回、そして、左に1回。
 ヤッター! 
 老人に見えないように太腿に付けた右手の拳を握った。
 その時、郵便物を手にした老人がこちらを向いたので、慌てて顔を道路の方に戻した。
 すると足音が近づき、老人が正面に立った。

「どんな知り合い?」

 まさか声をかけてくるとは思わなかったのでちょっとどぎまぎしたが、「仕事関係です」と言って切り抜けた。

 老人はそれ以上は追及してこなかった。
 それでも、不審人物の容姿をしっかり記憶するかのように視線をわたしの頭からつま先まで這わしてから、階段をゆっくりと上がっていった。

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