世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
部屋の照明は、間接照明だけがほのかに灯っていた。
白い壁。白いベッド。
どこかのホテルの一室のように整えられた寝室に、璃子は静かに足を踏み入れる。

その足取りは自然に、ベッドの“片側”に向かっていた。
中央には座らない。端に腰かけ、整えられたシーツの感触を指先でなぞる。

「……おやすみなさい」

リビングに背を向けたまま、璃子は声だけでそう言った。
返事はない。
しばらくして、リビングの扉が閉まる音が遠くに響く。

結局、彼は今日一日、彼女を「名前で呼ぶ」ことも、「目を見て話す」ことすらなかった。
それでも不思議と、怒りは湧いてこない。
ただ、空っぽな水槽を見ているような、静かな絶望が胸の中に漂っていた。

シーツをめくり、身を滑らせるようにしてベッドに入る。
その瞬間、首元のネックレスが肌に触れた。

――あの日、湊さんが、そっと直してくれた。

指先でチェーンを握る。ほんのわずかな重みが、今の自分を引き留めてくれている気がした。

「……もう、寝よう」

声に出したことで、気持ちがどこかで落ち着いた気がした。
寝返りを打っても、誰にもぶつからない。
誰もいない。温度も、気配も、ない。

ただ、真っ白な天井と、静まり返った空間があるだけだった。

璃子は瞼を閉じた。
眠れなくても、眠ったふりをするしかない――それが、いまの「妻になる準備」だった。
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