世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
リビングの灯りは間接照明だけ。
ひとりで話すにはちょうどいい薄明かりの中、璃子はソファに座っていた。
スマホ越しに聞こえるのは、紀江の優しい声。
退院してから初めての電話だった。
「……あのとき湊さんがいなかったら、本当に危なかったわねぇ」
「うん、でも……おばあちゃんがいてくれて、ほんとに、助かった……」
紀江の声を聞いているだけで、胸の奥に溜め込んでいた何かが少しずつ溶け出していくようだった。
湊と調律をした午後。
手首の痛みを湊に伝えるために、おばあちゃんに嘘をついて貰ったこと。
練習の合間や両親がいない日にどうでもいい話で笑い合った、あの穏やかな時間。
戻れないとわかっているのに、心が勝手に引き返してしまう。
「しんどくなったら、いつでも連絡しておいで」
「……ありがとう、また連絡するね」
電話を切ると、抑えていたものが堰を切った。
涙が止まらなかった。
声を殺して、何度も鼻をすする。
吐き出したい言葉は山ほどあったのに、誰にも言えなかった。
なのに、そこへ――。
「……なんで泣いてるの?」
突然背後から声がして、璃子は反射的にスマホを握りしめた。
振り返ると、部屋の入り口に篠原が立っていた。
いつ戻ってきたのか、気配すら感じなかった。
「え……いや……なんか、泣いたらスッキリするかなって……」
曖昧に笑ってごまかす。
涙の跡はごまかしようもなかった。
篠原は黙ったまま歩み寄り、ソファの隣に腰を下ろす。
璃子のすぐ横。
距離が、近すぎる。
彼が目を細めてこちらを見つめるその視線に、璃子の背筋はカチコチに固まった。
心拍が一気に跳ね上がる。
彼は、涙の理由を聞こうともしなかった。
ただ、ぽつりと呟いた。
「……寂しい思いをさせたな」
そう言って、彼の手が伸びてくる。
「……っ」
璃子は反射的に、体をそらした。
触れられるのが怖かった。
咄嗟に息を止めた。
その動きに、篠原の眉間がわずかに歪む。
「……怖がらなくていい」
低く抑えた声で、そう告げる。
けれどその一言が、むしろ空気を張りつめさせた。
静まり返った部屋に、呼吸の音だけが響く。
窓の外では、誰もいない夜の都会が音もなく広がっていた。
ひとりで話すにはちょうどいい薄明かりの中、璃子はソファに座っていた。
スマホ越しに聞こえるのは、紀江の優しい声。
退院してから初めての電話だった。
「……あのとき湊さんがいなかったら、本当に危なかったわねぇ」
「うん、でも……おばあちゃんがいてくれて、ほんとに、助かった……」
紀江の声を聞いているだけで、胸の奥に溜め込んでいた何かが少しずつ溶け出していくようだった。
湊と調律をした午後。
手首の痛みを湊に伝えるために、おばあちゃんに嘘をついて貰ったこと。
練習の合間や両親がいない日にどうでもいい話で笑い合った、あの穏やかな時間。
戻れないとわかっているのに、心が勝手に引き返してしまう。
「しんどくなったら、いつでも連絡しておいで」
「……ありがとう、また連絡するね」
電話を切ると、抑えていたものが堰を切った。
涙が止まらなかった。
声を殺して、何度も鼻をすする。
吐き出したい言葉は山ほどあったのに、誰にも言えなかった。
なのに、そこへ――。
「……なんで泣いてるの?」
突然背後から声がして、璃子は反射的にスマホを握りしめた。
振り返ると、部屋の入り口に篠原が立っていた。
いつ戻ってきたのか、気配すら感じなかった。
「え……いや……なんか、泣いたらスッキリするかなって……」
曖昧に笑ってごまかす。
涙の跡はごまかしようもなかった。
篠原は黙ったまま歩み寄り、ソファの隣に腰を下ろす。
璃子のすぐ横。
距離が、近すぎる。
彼が目を細めてこちらを見つめるその視線に、璃子の背筋はカチコチに固まった。
心拍が一気に跳ね上がる。
彼は、涙の理由を聞こうともしなかった。
ただ、ぽつりと呟いた。
「……寂しい思いをさせたな」
そう言って、彼の手が伸びてくる。
「……っ」
璃子は反射的に、体をそらした。
触れられるのが怖かった。
咄嗟に息を止めた。
その動きに、篠原の眉間がわずかに歪む。
「……怖がらなくていい」
低く抑えた声で、そう告げる。
けれどその一言が、むしろ空気を張りつめさせた。
静まり返った部屋に、呼吸の音だけが響く。
窓の外では、誰もいない夜の都会が音もなく広がっていた。