世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
大学での講義を終え、午後の打ち合わせのために会社へと戻ってきた創は、
エントランスホールを抜けた瞬間、ふと足を止めた。
静謐な社屋のロビーに、不意に流れてきたのは──
聴き覚えのある旋律。
ラヴェルの〈眠れる森の美女のパヴァーヌ〉。
音が鳴っていたのは、ロビー中央に鎮座する、KANERO Leclair-EX。
展示用として設置された最高級モデルで、滅多に誰かが触れることはない。
定期的に自ら調律だけは欠かさなかったが、
まさかこのピアノが、こんなふうに「歌う」日が来るとは思ってもみなかった。
音の粒は揃い、静かで、柔らかい。
しかし決して単調ではなく、時に揺らぎ、互いに支え合い、
二人の呼吸がそのまま旋律になったような演奏。
これは、即興でもない。練習の反復でもない。
二人で「語り合う」音楽だ──そう思った。
目を細めて、その奏者の背中に目をやる。
ひとりは──息子の湊。
そして、もうひとりは──
(……璃子さん、か)
思わず微笑が浮かぶ。
やけに背中の距離が近い。
肩が触れそうだ。いや、触れている。
ぎこちなかったふたりが、こんなふうに隣に並んでいる。
演奏が終わる気配に、創は少しだけ近づいた。
最後の和音が静かに溶けると、湊が璃子にふっと微笑んだ。
それに璃子も照れたように小さく頷いた。
──音楽で繋がる者同士の、なんとも自然な空気。
まるで言葉よりも深く通じ合っているような、その温度に
創は、胸の内に静かに熱を感じながら、声をかけた。
「……いい音だな。Leclair も、こんなに嬉しそうに響くのは初めてだ」
ふたりが振り向き、少し驚いたように目を見張る。
湊はどこか照れくさそうに「父さん」と呟き、
璃子は立ち上がって、小さく礼をした。
創はふたりを見渡しながら、言葉を続ける。
「いい連弾だった。君たちがあのピアノを鳴らしてくれたことが、なにより嬉しい。
……ようこそ、KANEROへ」
その一言に、璃子の目が潤んだように見えた。
音楽の世界は、ときに孤独で厳しい。
でもこうして、人と人を繋ぐ力を持っている。
それを、今この瞬間、改めて教えられた気がした。
創はそっと目を細め、あの日のまだ幼い湊を思い出す。
「KANEROの音」を継ぐには、ずいぶん遠回りをしたが──
(……ようやく、彼なりの音を見つけたか)
親としてではなく、職人として。
この瞬間の連弾は、静かに心に沁み込んでいった。
エントランスホールを抜けた瞬間、ふと足を止めた。
静謐な社屋のロビーに、不意に流れてきたのは──
聴き覚えのある旋律。
ラヴェルの〈眠れる森の美女のパヴァーヌ〉。
音が鳴っていたのは、ロビー中央に鎮座する、KANERO Leclair-EX。
展示用として設置された最高級モデルで、滅多に誰かが触れることはない。
定期的に自ら調律だけは欠かさなかったが、
まさかこのピアノが、こんなふうに「歌う」日が来るとは思ってもみなかった。
音の粒は揃い、静かで、柔らかい。
しかし決して単調ではなく、時に揺らぎ、互いに支え合い、
二人の呼吸がそのまま旋律になったような演奏。
これは、即興でもない。練習の反復でもない。
二人で「語り合う」音楽だ──そう思った。
目を細めて、その奏者の背中に目をやる。
ひとりは──息子の湊。
そして、もうひとりは──
(……璃子さん、か)
思わず微笑が浮かぶ。
やけに背中の距離が近い。
肩が触れそうだ。いや、触れている。
ぎこちなかったふたりが、こんなふうに隣に並んでいる。
演奏が終わる気配に、創は少しだけ近づいた。
最後の和音が静かに溶けると、湊が璃子にふっと微笑んだ。
それに璃子も照れたように小さく頷いた。
──音楽で繋がる者同士の、なんとも自然な空気。
まるで言葉よりも深く通じ合っているような、その温度に
創は、胸の内に静かに熱を感じながら、声をかけた。
「……いい音だな。Leclair も、こんなに嬉しそうに響くのは初めてだ」
ふたりが振り向き、少し驚いたように目を見張る。
湊はどこか照れくさそうに「父さん」と呟き、
璃子は立ち上がって、小さく礼をした。
創はふたりを見渡しながら、言葉を続ける。
「いい連弾だった。君たちがあのピアノを鳴らしてくれたことが、なにより嬉しい。
……ようこそ、KANEROへ」
その一言に、璃子の目が潤んだように見えた。
音楽の世界は、ときに孤独で厳しい。
でもこうして、人と人を繋ぐ力を持っている。
それを、今この瞬間、改めて教えられた気がした。
創はそっと目を細め、あの日のまだ幼い湊を思い出す。
「KANEROの音」を継ぐには、ずいぶん遠回りをしたが──
(……ようやく、彼なりの音を見つけたか)
親としてではなく、職人として。
この瞬間の連弾は、静かに心に沁み込んでいった。