世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
璃子は、湊の家のダイニングテーブルに促されるようにして座った。
手元には、きれいに詰められた洋食のお弁当。
ハンバーグにエビフライ、彩りよく添えられたサラダとピクルス。
素朴ながら、どこか安心感のある家庭的な見た目に、璃子の心がふとほどけかける。

「外商が見繕ってくれたやつらしいよ。気に入るといいけど」
創がそう言いながら、おしぼりを差し出す。

湯気の立つマグカップを手に、湊がキッチンから戻ってきた。
璃子の前に置かれた紅茶の香りが、ふわっと広がる。

「……お母さん、なんて?」

湊が問いかけると、璃子は拳をぎゅっと握り、視線を落とした。

「……一度、会って直接話したいって」

言いながら、声がわずかに震える。
それでも、顔を上げて湊を見る。
その目は、不安と覚悟が入り混じっていた。

「……もしかしたら、連れ戻されるかも」

言葉にした瞬間、璃子の肩が少しすくむ。
湊が何かを言いかけたとき、隣にいた創が静かに言った。

「連れ戻すなんて、強引なことをしたら……さすがに僕が止めるよ」
「親だとしても、やっていいことと悪いことがある」

その言葉に、璃子は目を見開く。
創の言葉には、立場や関係を越えた、人としてのまっすぐな強さがあった。

「それに、湊との思いは確認したんだろ? なら、君たちはこれからも一緒にいるべきだよ」

璃子は、その言葉の温かさに胸がじんと熱くなった。
湊と視線を絡ませたまま、そっと微笑む。

「……ありがとうございます」

その声は、少しだけかすれていた。

湊が、璃子の胸元に目を留める。
少し斜めに絡まっていたネックレスのチェーンを指先で丁寧に直すと、璃子は驚いたように目を見張り、すぐにふわっと笑った。

「大丈夫。必ず守るから」

湊の声は優しく、強かった。
璃子の瞳に、迷いが少しずつ消えていく。

そんな2人を見ていた創が、照れたように笑いながら言った。

「……とりあえず、先にご飯にしようか。今日は一日、僕も家にいるし……君たちにはお邪魔かもしれないけど」

それが場の空気を和らげ、璃子はほっと息をついた。

「いえ……心強いです」

璃子の言葉に、創は小さく笑い、紅茶を一口飲んだ。
3人の間に流れる静かな時間が、不安を少しずつ癒していく──。
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