世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
取材は、都内某所にある
音楽誌『pianista(ピアニスタ)』の専用スタジオで行われた。

記者は、芸能やクラシック界隈に詳しいフリーライター、笠間瑛里(かさまえり)。

撮影は『月刊音楽文芸』と合同で、計三社合同の囲み取材という形になった。

カメラの前に座った璃子は、
ロイヤルブルーのセットアップに身を包んでいた。

コーディネーターが用意した、露出の少ない、クラシックな一着。

──用意された回答は、すべて頭に入っていた。

「今回のご帰国、しばらくは静養されていたそうですね」

瑛里が問いかける。

璃子は、微笑みをたたえながら、
あくまで“予定調和”の声で答えた。

「はい。実は……演奏中、突発的に光や音に過敏になることがありまして。
検査の結果、自律神経に乱れが出ていたようなんです」

「アルテミスの直後だったから、驚きました」
「お医者様からは、かなり休むようにと言われたんですか?」

「そうですね。演奏に命を懸けていた時期でしたから、
休むという選択は本当に勇気がいりました。
でも、だからこそ必要だったと思っています」

──教え込まれたとおりの、受け答えだった。

しかしそれは、
彼女にとって「偽りの演技」ではなかった。



むしろ──
『次に進むための布石』だった。



答えながら、璃子は思っていた。
同棲生活の末に、
本当の「音楽の喜び」を知ったあの夜のことを。

篠原との日々で見えた自分の恐れ。
湊に見せた涙と、告げた本音。
楽譜に付箋を貼ってくれた彼の、優しい指。

あれが、私の音楽の再出発だった。

「復帰コンサートの予定は?」と問われ、璃子は頷いた。

「まだ、時期は未定ですけれど。
少しずつ、音楽の現場に戻っていきたいと思っています」

その声は、わずかに震えていた。
だが、弱さではない。
心からの「決意」だった。

舞台の上で、もう一度。
自分の音を、奏でるために。

嘘も、沈黙も、受け入れる。
でも、その先へ行く。
“誰かに弾かされるピアノ”じゃない、自分の音を。
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