世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく

“回復”と呼ばれた沈黙

璃子が姿を消したのは、
アルテミス国際ピアノコンクールで最高賞を受賞した――
その、ちょうど三日後のことだった。

 

本来ならば、
一時帰国と同時にテレビ出演や記念演奏会の依頼が殺到する。
メディアは「新星の凱旋」を誇張し、
一夜にして“世界の朝比奈璃子”が誕生するはずだった。

 

けれど、璃子は──

 

何ひとつ、受けなかった。
マスコミ各社からのオファーはすべて「体調不良」の一言で断られた。

 

それは一過性の過労や疲労ではなく、
〈回復のめどが立たないため、出演は未定〉
という文面が、すべての広報資料に添えられていた。

 

テレビ局、音楽雑誌、レコード会社。
現場は一斉に「待ち」の姿勢に転じた。

けれど、誰ひとりとして──
璃子の現在地を追いかけることはできなかった。

 

情報統制は、異常なまでに徹底されていた。

 

朝比奈家の父・聡一は、
国内大手音楽プロダクションの幹部と昵懇の関係にあり、

母・由紀子は、かつて大手広告代理店《翠嶺エージェンシー》で
局長職を務め、現在も文化振興団体《日本音楽アーツ協会》の理事を務めている。

音楽業界と広告業界の双方に、
今なお“通る声”を持つ数少ない人物だった。

さらに彼女は、
若手演奏家の登竜門とされる《アルフェリ財団》の主要後援者でもあり、
コンクール運営や審査委員会にも、一定の影響力を及ぼしていた。

 

由紀子の一言は、すぐに業界全体に伝播した。
「朝比奈璃子には、今は触れないで」
その発信ひとつで、水面下に“静かな封鎖網”が敷かれた。

“娘の未来を守るため”という名目のもとに。

璃子の情報は、霧のように消えた。

 

そして──その4ヶ月間に、ひとつの「シナリオ」が作られた。

 

〈渡仏中の過剰なプレッシャーと過密スケジュールによる、自律神経の不調〉
〈極度の音感過敏による、感覚の分断と回復訓練〉
〈演奏者としての再調整を優先し、現在は都内の自宅で静養中〉

 

発表されたのは、この三点のみ。
すべての取材対応は秘書を通じてなされ、
それ以上の情報には、一切応じなかった。

 

一部の週刊誌がスキャンダルの可能性をにおわせようとしたが、
その動きも早々に潰された。

〈プロダクション側の徹底抗戦と、名誉毀損による警告文の送付〉
〈関連スポンサー企業からの“沈黙”要請〉
〈取材現場に飛び交う、「もう触れるな」という暗黙の通達〉

 

音楽業界、広告業界、そしてテレビ業界。
すべてが──“口をつぐむ”ことで、静かに合意した。

 

こうして──

璃子は、表舞台から完全に姿を消した。
誰ひとり、彼女の「真実」に触れることはできないまま。

 

けれど。
彼女が息を潜めていたその時間は、決して“空白”ではなかった。

 

苦しみと再生。
拒絶と許し。
そして──

「音楽に、もう一度、心を向ける」

 

それは、璃子自身が選んだ、確かな4ヶ月だった。
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