世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
午後三時。
部屋に差し込む光は、やけに明るかった。
それなのに、心の中は薄く霞がかかったように、どこかぼんやりしている。
璃子はそっとピアノの前に座る。
指先を鍵盤に置く。
震えてはいないけれど、触れているはずなのに、鍵盤が少し遠く感じた。
四ヶ月。
ピアノから離れた時間は、想像よりもずっと、深く、重かった。
「……鍵盤が、遠い」
かすれた声が、無意識に漏れる。
ドレミファソラシド。
スケールを弾くだけなのに、響いてくる音は、自分を通り過ぎた風のように虚ろだった。
「腕の重さが、音に乗らない」
「左手が、まるで他人のよう」
「……こんなに音が、自分と離れて聴こえたことは、なかった」
頭では分かってる。
感覚はすぐには戻らないって。
でも、心が追いつかない。
(取り戻せるの……? 本当に?)
誰にも聞こえない問いが、部屋に沈んでいく。
賞を取っても、拍手を浴びても、
この空虚な鍵盤の感覚を埋めてくれるものは、まだない。
でも──
璃子は指を止めない。
ただスケールを、繰り返す。
音が馴染むまで、思い出せるまで。
湊は今日も夕食には帰ってくる。
「無理しないで」と言ってくれた。
しばらくは仕事量も調整して、できるだけ一緒にいるって。
(戻らなくても、また見つければいい)
(私の音を、私だけの音を)
ほんの少しだけ、鍵盤の感触が手のひらに残った。
それだけで、今日は十分だった。
部屋に差し込む光は、やけに明るかった。
それなのに、心の中は薄く霞がかかったように、どこかぼんやりしている。
璃子はそっとピアノの前に座る。
指先を鍵盤に置く。
震えてはいないけれど、触れているはずなのに、鍵盤が少し遠く感じた。
四ヶ月。
ピアノから離れた時間は、想像よりもずっと、深く、重かった。
「……鍵盤が、遠い」
かすれた声が、無意識に漏れる。
ドレミファソラシド。
スケールを弾くだけなのに、響いてくる音は、自分を通り過ぎた風のように虚ろだった。
「腕の重さが、音に乗らない」
「左手が、まるで他人のよう」
「……こんなに音が、自分と離れて聴こえたことは、なかった」
頭では分かってる。
感覚はすぐには戻らないって。
でも、心が追いつかない。
(取り戻せるの……? 本当に?)
誰にも聞こえない問いが、部屋に沈んでいく。
賞を取っても、拍手を浴びても、
この空虚な鍵盤の感覚を埋めてくれるものは、まだない。
でも──
璃子は指を止めない。
ただスケールを、繰り返す。
音が馴染むまで、思い出せるまで。
湊は今日も夕食には帰ってくる。
「無理しないで」と言ってくれた。
しばらくは仕事量も調整して、できるだけ一緒にいるって。
(戻らなくても、また見つければいい)
(私の音を、私だけの音を)
ほんの少しだけ、鍵盤の感触が手のひらに残った。
それだけで、今日は十分だった。