世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
KANEROの建物を出ると、夕方の風がふっと頬を撫でた。
璃子は肩をすくめ、小さく吐いた息が白く曇るのを見つめた。

「……寒くなってきたね」
璃子がつぶやくと、隣を歩く湊が小さく笑う。

「もうすぐ11月も終わりだしね。そろそろ手袋が必要かも」

そう言いながら、湊は璃子の左側に立ち、そっとその手を取った。

左手——
利き手じゃない方。

璃子は一瞬驚いて、湊の顔を見た。
でも彼は何も言わず、ただ当たり前のように、その手を握ってくれる。

ぎゅうっと強くではなく、でも確かに包まれるようなあたたかさ。

「あ……ありがとう」
そう言って、璃子はふっと目を細めた。

外気は冷たいはずなのに、不思議と寒さは感じなかった。
指先から胸の奥まで、あたたかさがじんわり広がっていく。

「歩くの、ゆっくりでいいから」
湊の声はいつもと変わらないのに、どこか優しさの熱がこもっていて。

璃子はうなずく。

「……うん。ゆっくりでいい」

通りには早くもクリスマスの装飾がちらほら見え始めていた。
でも、今はそれよりも、この一歩一歩の静かな幸福が、なにより大切だった。

璃子はもう一度、湊の手をぎゅっと握り返した。
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