世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
ソファの上で、璃子は湊の隣にすっぽりと収まっていた。

クッションを背に、片膝を曲げた湊の胸に、璃子は自然に寄りかかる。
その距離はもう、頬と頬が触れそうなほど。

「……キス、していい?」

囁くように言いながら、璃子は湊の顔を覗き込む。

湊は少しだけ顔を近づけたかと思うと――ふいっと横を向いて、すっと立ち上がった。

「ちょっと、のど乾いたな。お茶、入れよっか?」

「……えっ?」

璃子はぽかんとしたあと、ぷくっと頬を膨らませた。

「今の、わざとでしょ?」

湊は湯沸かしポットのスイッチを入れながら、肩越しに笑う。

「さあ、どうかな? だって璃子、顔に“これから甘やかされます”って書いてあったから」

「もーっ」

ソファにぺしぺしとクッションで抗議する璃子。

湊は戻ってきて、そのクッションの上にどさっと腰を下ろすと、にやにやしながら彼女の髪をくしゃっと撫でた。

「……ふふ、でも怒ってる顔も可愛い」

「褒めてるふうでごまかしてるでしょ! いいもん、こっちからいく」

璃子はちょっと拗ねた顔で、勢いよく身を起こすと、湊の胸に飛び込むようにして顔を寄せ――

今度は逃げられないように、しっかりと頬を両手で挟んで、ちゅっ。

湊は目を見開いたあと、軽く吹き出した。

「……強引になったね?」

「湊が意地悪するからでしょ」

「いやいや、それは照れてる璃子が見たいだけで……」

ふたりは顔を見合わせ、ふっと笑った。

湊は璃子の背中に腕をまわし、もう一度、今度は自分からそっとキスを落とす。
さっきとは違って、今度はとても優しく、丁寧に。

「……さっきのは、前座」

「じゃあ、これは?」

「本番」

「……ふふ、じゃあもっと長くして」

「うん、でもその前に」

湊がいたずらっぽく目を細める。

「今日さ、控え室でイチャイチャしてたとき」

「あぁ……?」

「矢代さん、ちょっと視線泳いでなかった?」

「うん、私も思った! なんかこう……気まずそうっていうか、“えっ、僕ここにいていいの?”みたいな顔してた!」

璃子が口を押さえて笑うと、湊も肩を震わせる。

「俺、横目で見てたんだけど、あの人、絶対スマホの通知来てないのに画面見てたよ。あれ絶対“見てません”のやつ」

「わかる! “聞こえてません”のふりのやつもしてた~!」

ふたりはソファで笑い転げながら、くっついたまま身を寄せ合う。

「……でも、ああいうときも、ちゃんと気を利かせて先に引いてくれるの、矢代さんだよね」

「うん。……ありがたい人だよね、ほんとに」

「そういう人に支えられてる璃子は、きっとこれからもっと自由にピアノ弾けるよ」

「……湊がいるから、だよ」

「……じゃあ、矢代さんがいない今夜は、遠慮せず甘えていいよ」

「ほんと? ……じゃあまたキス、してもいい?」

「――今度は逃げない」

そしてまた、ふたりの影が、柔らかなソファの上で重なっていった。
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