世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
ロビーに出る前から、すでにざわつきが耳に届いていた。
「……外、マスコミで埋め尽くされてるらしいです」
矢代がスマートフォンの画面を見せながら、わずかに眉を寄せる。
「予想はしてましたが、ここまでとは。今夜このままご自宅に戻るのは、少々厳しいかもしれません」
湊と璃子が顔を見合わせた、そのときだった。
後ろから、柔らかな足音が近づいてくる。
「お疲れさまでした。おふたりとも、素晴らしい演奏でしたね」
声の主は、バイオリニスト・篠原恭介だった。
黒のコートを羽織ったまま、彼は静かな笑みを湛え、湊と璃子に視線を向ける。
「……少しだけ、お時間をいただけますか? 私から、ささやかな贈り物を」
璃子が戸惑う間に、篠原はホテルのスタッフ導線を迷いなく進み、関係者専用の裏通路へとふたりを導いた。
辿り着いたのは、廊下の最奥――スイートルームの前だった。
「どうぞ」
ふわりと笑みながら、篠原はカードキーを璃子に手渡す。
「……? でも、これ……」
戸惑う璃子の背後で、湊が振り返ると、すでにベルボーイが控えていた。
小ぶりなスーツケースと、ラッピングされた花束を抱えて。
璃子がゆっくりとカードキーを差し込む。
扉が開いた瞬間、温かな空気とともに、柔らかな光が部屋を包んだ。
白とゴールドのバルーン。
窓辺には “Happy Birthday” の文字がライトで浮かび上がっている。
テーブルにはケーキと小さな花束。
ソファには、璃子の好きだと話していたシャンパンのボトルが静かに冷やされていた。
璃子はしばし立ち尽くしたまま、ゆっくりと部屋を見渡す。
「……え、今日……?」
「今日が誕生日、ですよね」
篠原が、穏やかな声で言った。
「――おめでとうございます。ここはすべて、ORB……いえ、矢代さんと私から。
ほんの少しでも、安心してくつろげる場所をと思って」
「……そんな、私……演奏しかしてないのに」
「だからこそ、だよ」
湊が、そっと言葉を添える。
璃子はもう一度、静かに空間を見渡す。
どこか現実味のない、けれどあたたかい夢のような景色。
そして、そっと身を沈めた。
張りつめていた肩の力がふと抜けて、
ぽろりと、一粒、涙がこぼれ落ちる。
「……ありがとう」
静かに閉じた扉の内側で、
ささやかな、でも忘れられない夜が、静かに幕を開けようとしていた。
「……外、マスコミで埋め尽くされてるらしいです」
矢代がスマートフォンの画面を見せながら、わずかに眉を寄せる。
「予想はしてましたが、ここまでとは。今夜このままご自宅に戻るのは、少々厳しいかもしれません」
湊と璃子が顔を見合わせた、そのときだった。
後ろから、柔らかな足音が近づいてくる。
「お疲れさまでした。おふたりとも、素晴らしい演奏でしたね」
声の主は、バイオリニスト・篠原恭介だった。
黒のコートを羽織ったまま、彼は静かな笑みを湛え、湊と璃子に視線を向ける。
「……少しだけ、お時間をいただけますか? 私から、ささやかな贈り物を」
璃子が戸惑う間に、篠原はホテルのスタッフ導線を迷いなく進み、関係者専用の裏通路へとふたりを導いた。
辿り着いたのは、廊下の最奥――スイートルームの前だった。
「どうぞ」
ふわりと笑みながら、篠原はカードキーを璃子に手渡す。
「……? でも、これ……」
戸惑う璃子の背後で、湊が振り返ると、すでにベルボーイが控えていた。
小ぶりなスーツケースと、ラッピングされた花束を抱えて。
璃子がゆっくりとカードキーを差し込む。
扉が開いた瞬間、温かな空気とともに、柔らかな光が部屋を包んだ。
白とゴールドのバルーン。
窓辺には “Happy Birthday” の文字がライトで浮かび上がっている。
テーブルにはケーキと小さな花束。
ソファには、璃子の好きだと話していたシャンパンのボトルが静かに冷やされていた。
璃子はしばし立ち尽くしたまま、ゆっくりと部屋を見渡す。
「……え、今日……?」
「今日が誕生日、ですよね」
篠原が、穏やかな声で言った。
「――おめでとうございます。ここはすべて、ORB……いえ、矢代さんと私から。
ほんの少しでも、安心してくつろげる場所をと思って」
「……そんな、私……演奏しかしてないのに」
「だからこそ、だよ」
湊が、そっと言葉を添える。
璃子はもう一度、静かに空間を見渡す。
どこか現実味のない、けれどあたたかい夢のような景色。
そして、そっと身を沈めた。
張りつめていた肩の力がふと抜けて、
ぽろりと、一粒、涙がこぼれ落ちる。
「……ありがとう」
静かに閉じた扉の内側で、
ささやかな、でも忘れられない夜が、静かに幕を開けようとしていた。