世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
璃子の家を訪ねた湊と創。
玄関から出てきたのは璃子本人だった。
「由紀子さんは?」と創が尋ねると、璃子は少し笑って答えた。
「おばあちゃんの紀江さんの病院の定期健診で付き添いに行ってます」

二人は安心したように顔を緩める。
「そうか。今日はたまたま時間が空いたから、湊がちゃんと仕事してるか見に来たんだ」

璃子は軽く笑い、「どうぞ」と言ってピアノの部屋へと案内した。

椅子に座るとすぐ、湊が優しく声をかける。
「ちょっと弾いてみて」

璃子は小さく頷き、鍵盤に指を置いた。
静かに曲を奏で始める。

だが、難所に差し掛かると、右手の動きに明らかな違和感があった。
以前よりもそれが顕著に表れている。

創もそっと覗き込むようにその手元を見つめている。

湊はそっと膝をつき、璃子の目を静かに見つめながら尋ねた。
「手首、痛い?」

璃子はうつむいたまま、小さく頷く。

「ちょっと見せて」と言って、湊はそっと璃子の右手を取り、ひとつずつ動きを確認していく。

特定の角度で手首を曲げたとき、璃子は顔をしかめた。

「ここ、痛い?」

「うん…」と再び頷く。

湊は静かに言った。
「この痛みは、関節の過伸展(かしんてん)が起きてる可能性が高い。手首が無理に反り返って、そのために筋や靭帯に負担がかかってるんだ。使いすぎやフォームの癖が原因で、治療やリハビリをしないと悪化するよ。」

「無理に練習を続けると、痛みが音にも出てしまうし、最悪は長引く腱鞘炎や腱の断裂にも繋がる。早めに専門医の診察を受けて対処しないと、取り返しがつかなくなるかもしれない。」

湊は優しく手を離しながら、言葉を添えた。
「璃子さん、自分の体を守ることが第一だ。音楽も大事だけど、体を壊してしまっては意味がない。どうか無理はしないでほしい。」

その声に璃子は小さく息をつき、わずかに目を潤ませていた。
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