世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
しばらくして、部屋のチャイムが鳴った。
湊がドアを開けると、ホテルと提携している現地の医師と、看護師らしき女性が立っていた。
白衣に身を包んだ医師は、中年の男性で、璃子に優しい目を向けながら、フランス語で何かを言う。
璃子は、ぼんやりとした頭でそれを聞いていたが、意味がまったくわからなかった。
「……すみません、わたし……フランス語は……」
するとすぐに、湊がその隣で応えた。
「大丈夫です、璃子さん。俺が通訳しますから」
そう言って、湊は医師に向き直り、流暢とは言えないながらも、必要な単語を丁寧に並べて伝える。
「Elle a de la fièvre depuis ce matin. Mal de tête, gorge douloureuse, et elle a dit qu’elle se sent faible.」
(彼女は今朝から熱があります。頭痛、喉の痛み、倦怠感があると言っています)
医師は頷きながらメモを取り、璃子にいくつかの質問をする。
湊はそのたびに璃子の様子を見て、やさしく声をかけた。
「喉の痛みは、今もありますか?」
「……はい、少し。あと、寒気が……」
「寒気、喉の痛み、わかりました」
湊はそう返してから、医師へ再度説明する。
璃子は、ぐったりとした体を起こそうとしたが、腕に力が入らない。
その動きを見て、すぐに湊が駆け寄り、ベッドの背をそっと支えるようにして言った。
「無理しないで。背中、俺が支えます」
彼の腕がそっと背に回り、璃子を支えながら体を起こす。
看護師が体温計を差し出すと、湊がそれを受け取り、璃子の口元に優しく運んだ。
「これ、口に入れますね。三十秒くらい」
額にはまだ熱がこもっていた。
湊はハンドタオルを濡らし、軽く絞ってから、璃子の額の汗をやさしく拭う。
「……恥ずかしい」
璃子が小さな声でそう呟くと、湊は笑いながら、
「看病するときに恥ずかしいも何もないです。
俺、調律師ですけど、今回だけは看護師兼通訳兼付き添いってことで」
「……多すぎる……」
「でも、その全部が必要でしょ?」
目が合った瞬間、璃子は少しだけ笑った。
熱でふわふわしている頭の中、それでも彼の存在だけは、しっかりと感じられた。
やがて体温計が鳴り、湊が確認する。
「三十八度五分。やっぱり結構ありますね」
医師がそれを聞いて頷き、薬を処方する旨を伝えると、湊がすかさず通訳してくれた。
「これから処方薬をホテルの薬局で手配します。
解熱剤と、抗生物質も。あとで俺が取りに行きますから」
医師が手際よくメモを書きながら退出の準備を始め、湊も見送りに出る。
璃子は、ベッドの中からその背中を見つめながら、熱でうまくまとまらない思考のなかで、ただ一つの感情だけを強く感じていた。
――この人がいてよかった。
目を閉じると、またふらつく感覚に包まれたが、もう怖くはなかった。
額のタオルが、今も優しく、ひんやりと彼の気遣いを伝えていた。
湊がドアを開けると、ホテルと提携している現地の医師と、看護師らしき女性が立っていた。
白衣に身を包んだ医師は、中年の男性で、璃子に優しい目を向けながら、フランス語で何かを言う。
璃子は、ぼんやりとした頭でそれを聞いていたが、意味がまったくわからなかった。
「……すみません、わたし……フランス語は……」
するとすぐに、湊がその隣で応えた。
「大丈夫です、璃子さん。俺が通訳しますから」
そう言って、湊は医師に向き直り、流暢とは言えないながらも、必要な単語を丁寧に並べて伝える。
「Elle a de la fièvre depuis ce matin. Mal de tête, gorge douloureuse, et elle a dit qu’elle se sent faible.」
(彼女は今朝から熱があります。頭痛、喉の痛み、倦怠感があると言っています)
医師は頷きながらメモを取り、璃子にいくつかの質問をする。
湊はそのたびに璃子の様子を見て、やさしく声をかけた。
「喉の痛みは、今もありますか?」
「……はい、少し。あと、寒気が……」
「寒気、喉の痛み、わかりました」
湊はそう返してから、医師へ再度説明する。
璃子は、ぐったりとした体を起こそうとしたが、腕に力が入らない。
その動きを見て、すぐに湊が駆け寄り、ベッドの背をそっと支えるようにして言った。
「無理しないで。背中、俺が支えます」
彼の腕がそっと背に回り、璃子を支えながら体を起こす。
看護師が体温計を差し出すと、湊がそれを受け取り、璃子の口元に優しく運んだ。
「これ、口に入れますね。三十秒くらい」
額にはまだ熱がこもっていた。
湊はハンドタオルを濡らし、軽く絞ってから、璃子の額の汗をやさしく拭う。
「……恥ずかしい」
璃子が小さな声でそう呟くと、湊は笑いながら、
「看病するときに恥ずかしいも何もないです。
俺、調律師ですけど、今回だけは看護師兼通訳兼付き添いってことで」
「……多すぎる……」
「でも、その全部が必要でしょ?」
目が合った瞬間、璃子は少しだけ笑った。
熱でふわふわしている頭の中、それでも彼の存在だけは、しっかりと感じられた。
やがて体温計が鳴り、湊が確認する。
「三十八度五分。やっぱり結構ありますね」
医師がそれを聞いて頷き、薬を処方する旨を伝えると、湊がすかさず通訳してくれた。
「これから処方薬をホテルの薬局で手配します。
解熱剤と、抗生物質も。あとで俺が取りに行きますから」
医師が手際よくメモを書きながら退出の準備を始め、湊も見送りに出る。
璃子は、ベッドの中からその背中を見つめながら、熱でうまくまとまらない思考のなかで、ただ一つの感情だけを強く感じていた。
――この人がいてよかった。
目を閉じると、またふらつく感覚に包まれたが、もう怖くはなかった。
額のタオルが、今も優しく、ひんやりと彼の気遣いを伝えていた。