世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
レストランの柔らかな灯りに包まれた空間で、二人は静かに向き合っていた。

湊がそっと尋ねる。

「お母さんと話せましたか?」

璃子は小さく微笑んで答える。

「はい、喜んでいました。私以上に。」

湊はその言葉にほっとしたようにうなずき、ゆっくりとナイフとフォークを手に取った。

「そうですか。」

しばらく無言で料理を味わいながら、湊はそっと目を向ける。

「璃子さん…」

その声には、言葉以上の感情がこもっていた。

「本当に、よく頑張ったと思います。」

「あなたの演奏は、ただの技術じゃない。魂を込めていた。正直、ずっとその姿を近くで見ていたいと思っていました。」

湊の言葉は優しく、それでいてどこか切実だった。
それを聞いた璃子は、胸の奥がざわつくのを感じた。
だが彼女はすぐに気持ちを抑え込み、ゆっくりと視線を落とす。

そして決然と、言葉を紡ぐ。

「湊さん…私、もうピアノを辞めます。」

湊は驚きの色を浮かべるが、すぐに静かにうなずいた。

「そうですか。長い道のりでしたね。」

「初日にきつく叱ってしまったこと、申し訳ないと思っています。」

璃子は小さく笑って答えた。

「いえ、本気でやり切っていなかったら、きっと後悔していたと思います。あの時の言葉があったからこそ、ここまで来られた。」

「そして最後の演奏を、湊さんに見守ってもらえて本当に良かった。」

湊は照れくさそうに目をそらしつつも、ほんの少し笑った。

「あなたの演奏を聴くことは、僕の誇りでした。」

「これからあなたがピアノから離れても、僕はずっと応援しています。」

彼の視線は、言葉とは裏腹に、確かな想いを宿していた。
璃子はそれを痛いほど感じ取りながらも、もう関わってはいけないと強く心に決めた。

「ありがとう、湊さん。」

「でも……もう終わりにします。」

その言葉に、彼は何も言えず、ただ静かに頷いた。

二人の間に切なさが漂い、時間がゆっくりと流れていった。
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