世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
帰国のフライトを控えた昼下がり。パリの空は少し霞んでいた。

「どこか寄りたいところ、ありますか?」

湊にそう訊かれて、璃子は少し考えたあと口を開いた。

「アクセサリーを見たいです。友達にお土産を買いたくて」

案内されたのは、サンジェルマン・デ・プレの一角にある、セレクトジュエリーショップ。
パリらしい洗練と可憐さが共存した、ガラス張りの静かな店だった。

ショーケースには、上品で遊び心のあるアクセサリーが並んでいた。
璃子は真剣な眼差しで並ぶ品々を見つめ、やがてふたつを選び出した。

ひとつは、結花に。
ゴールドベースにカラフルなガラス細工が施された、リーフ型のチャームピアス。
明るくて自由奔放な彼女にぴったりだった。

もうひとつは、千紗に。
繊細なパールとローズゴールドのラインが交差した、シンプルなネックレス。
控えめなのにどこか存在感があり、千紗の落ち着いた雰囲気にしっくりくると思った。

「These will be gift-wrapped for you?」

頷くと、店員は手早く、美しい包装紙で包み始める。

そのあいだ、璃子の視線はふと、隣のケースに引き寄せられた。

細いプラチナのチェーンに、ダイヤモンドがハートのかたちにちりばめられたネックレス。
きらびやかではないけれど、ひと目で心を掴まれるような、清楚な存在感があった。

「あ……これ、素敵」

思わずつぶやいた声に、近くにいた店員が微笑む。

“This necklace is one of our most popular collections. A heart-shaped pendant, set with natural diamonds, on a platinum chain. It’s often chosen by women who are stepping into a new chapter.”

タグには、2,050ユーロ――日本円でおよそ35万円の数字が光る。

璃子は一瞬、その輝きに心を奪われた。
けれどすぐに、現実が静かに胸を冷ました。

――もう、音楽の世界には戻らないって決めた。
だったら、こんな高価なネックレス、つける場所なんてもうない。

「…… I’m just looking.」

そう言って笑った璃子の声は、どこか遠く響いていた。

ふと横を見れば、湊が黙って彼女の横顔を見つめていた。
言葉はない。ただ、その視線が「似合いそうですね」と語っている気がして、余計に胸が苦しくなった。

「Thank you.」

璃子は英語で礼を言い、結花と千紗のプレゼントだけをお会計してもらった。
ショッパーを受け取り、少し重たくなったバッグを肩にかけながら、湊とともに静かに店を出た。
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