触れてはいけない距離

触れてしまった罰

 シャワーの水音がやけに長く響いた。止めるタイミングを見失ったのは、濡れた髪でも、火照った体でもなく――心が、昨夜の熱に縛られている。

(俺は……やっちゃいけないことをした)

 湯気の向こうで揺れる記憶の中に、綾乃の指先がある。

 震えていた。それでも逃げなかった。彼女の瞳が、泣きながら俺を求めていた。それが、何よりも罪だった。

 最初からわかっていた。彼女は“兄の妻”だ。触れちゃいけない。求めちゃいけない。なのに心が叫ぶより先に手が伸びた。一瞬の欲望が俺を裏切った。

 名前を呼んだとき、綾乃は泣きそうな顔で笑った。その声が、震えながら俺を刺した。

 あの瞬間、もうすべてが崩れていた。

(――もう戻れない)

 どれだけ謝っても、どれだけ距離を取っても、この事実だけは消せない。兄貴の顔を見られない。

(……だから、離れなきゃ)

 この家にいたら、また弱くなる。彼女を見てしまえば、きっと自分の決意なんか簡単に揺らぐ。

 だから、なにも言わずに部屋を片付けた。タオルも歯ブラシも、生活の痕跡をひとつずつ、消していった。

 最後に残ったのは、机の上の写真立て。

 三人で写った、何気ない一枚――それを伏せて、湊はそっと息を吐いた。

 (さよならも言えない。でもそれでいい)

 これは罰だ。綾乃を苦しませた自分自身への罰。彼女の笑顔を俺が汚した罰。
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