野いちご源氏物語 三四 若菜(わかな)上
尼君(あまぎみ)の方には短い手紙が届いた。
長く苦労をともにした夫婦だから、あれこれ書かなくても思いは伝わるのでしょうね。
「山奥に入ります。最後の修行としてこの身を(けもの)に与えてやりましょう。そなたは長生きして夢が実現する日を待っていらっしゃい。極楽(ごくらく)浄土(じょうど)でまたきっと会えるはずです」

手紙を届けた僧侶(そうりょ)が詳しいいきさつを話す。
「そのお手紙をお書きになってから三日後には山にお入りになりました。山のふもとまではお見送りいたしましたが、その先はお連れくださいませんでした。ご出家(しゅっけ)なさったときも悲しゅうございましたが、本当のお別れはさらにつらいことでございました。

山に行かれる前、これが最後だと(きん)琵琶(びわ)を演奏なさって、弟子(でし)の私たちに形見(かたみ)()けをしてくださいました。こちらの方々へのお形見もお預かりしております。それから山のふもとまでお見送りすると、『さぁ、別れだ』とおっしゃって、山へ入っていかれたのです。なんとも(むな)しく、悲しみで茫然(ぼうぜん)と立ちつくす者がたくさんおりました」

この(ろう)僧侶は子どものころから明石(あかし)入道(にゅうどう)に仕えている人で、都から明石へ引っ越すときもついてきて、さらには出家までお(とも)をした人だから、心細く思っている。
僧侶にとって死はそれほど悲しむことではないはずだけれど、やはりつらいわよね。
まして尼君は夫君(おっとぎみ)とのお別れだから、とてもつらく思っている。
< 57 / 75 >

この作品をシェア

pagetop