野いちご源氏物語 三四 若菜(わかな)上
(むらさき)(うえ)がご自分の離れにお帰りになった夕方、明石(あかし)(きみ)女御(にょうご)様に、明石の入道(にゅうどう)から届いた箱をお見せした。
住吉(すみよし)大社(たいしゃ)へのお願い事が書かれた紙が入っております。父はあなた様が中宮(ちゅうぐう)におなりになることを願っておりました。それが(かな)ってからお目にかけるべきとは存じますが、私の寿命(じゅみょう)がどれほどもつか分かりませんし、いざ危篤(きとく)状態となってもあなた様にお見舞いいただけるような身分ではありませんから、今のうちにお知らせしておいた方がよいだろうと持ってまいりました。

手紙もございますから、どうぞあわせてご覧ください。お願い事の紙の方はお部屋の戸棚(とだな)にお入れになって、信頼できるかどうか分からない女房(にょうぼう)にはお見せになってはいけませんよ。お願い事が叶ったときには住吉大社にお礼をなさってくださいませ。きっとまもなくそのときが参りましょう。私はもう思い残すことはありません。いよいよ出家(しゅっけ)したいと考えておりますから、あれもこれも申し上げておかなければと気が(あせ)ってしまいます。

紫の上のご親切には常に感謝なされませ。よそで生まれた子を引き取って、世間が立派な姫君(ひめぎみ)だと認めるようにお世話してくださったのです。どうかいつまでもお元気でいていただきたいと願っております。身分の低い私がお育てしてはあなた様のご将来に傷がつくと、紫の上に養母(ようぼ)になっていただきましたが、これほど大切にお世話してくださるとは思っておりませんでした。ふつうの継母(ままはは)というのは、こんなにご親切なものではありませんからね。今はもう何も心配しておりません」
母娘(ははむすめ)とはいえ、姫君は女御という(とうと)いお立場でいらっしゃるから、明石の君はいつも遠慮して女房のようにお仕えしている。
その母君がめずらしくいろいろとお話しになるので、女御様は涙ぐんで聞いていらっしゃる。

女御様は明石の入道(にゅうどう)の手紙をお手に取られる。
古くなって黄ばんだ飾りけのない紙だけれど、香りだけはしっかりとしみこませてある。
ごつごつした文章で、お若い女御様には少し恐ろしい感じがするものの、
<これが私の祖父君(そふぎみ)のご筆跡(ひっせき)か>
と、涙でお(ぐし)()らしてご覧になる。
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