野いちご源氏物語 三四 若菜(わかな)上
衛門(えもん)(かみ)様はもちろん、どなたもよい動きをなさってなかなか勝負がつかない。
熱中のあまり(かんむり)がずれてしまっている。
桜の花びらが雪のように降ってくるのを見上げて、大将(たいしょう)様は()()がった枝を一枝(ひとえだ)折ると、建物に上がる階段にお座りになった。
くつろいだお姿だけれど、お美しくて品が悪くは見えない。

衛門の督様もいらっしゃって、
「桜がひどく散りますね。昔の人も『風は桜を避けて吹け』と申しましたのに」
と言いながら、(おんな)(さん)(みや)様のお部屋の方をちらちらとご覧になっている。
建物の西側は宮様のお住まいだから、例の浮かれた女房(にょうぼう)たちが縁側(えんがわ)まで出てきていた。
(すだれ)の下から派手な着物の(そで)が見えるの。
本当なら簾の奥についたてを置いて、その後ろに隠れているべきなのに、ここの女房たちは平気で蹴鞠(けまり)見物(けんぶつ)をしているのね。

すると、そこから小さな(ねこ)が飛び出してきた。
大きな猫に追いかけられて、あわてて外に逃げようとする。
若い女房たちが怖がって立ち上がる。
ばたばたと動き回る着物の音が、大将様と衛門の督様のところまで届いた。
猫はまだ人に(なつ)いていないようで首に(つな)がつけられているのだけれど、その綱がどう引っかかったのかしら、簾がめくれ上がる。

宮様のお部屋の中が丸見えになっているのに、直そうとする女房もいない。
簾がどうなっているかなど気にもしないで、逃げたり怖がったりしているだけなの。
そのなかにくつろいだ格好の女君(おんなぎみ)がひとりいらっしゃる。
衛門の督様は、意外なほど近くに、はっきりと女三の宮様を見てしまわれた。

上品なお着物に()もれそうな小柄(こがら)な方で、お(ぐし)は毛先まで豊かに長い。
<なんとおかわいらしい>
驚いてじっとご覧になる。
猫の追いかけっこが落ち着くと、女房たちはまた蹴鞠(けまり)の見物に夢中になって、めくれ上がったままの簾に気づかない。
綱が引っかかって身動きが取れなくなった猫がしきりに鳴く。
その鳴き声にふり返りなさった宮様のお顔までよく見えてしまう。
<少女のようにおっとりとしたかわいらしい方だ>
衛門の督様は感動なさる。

もちろん大将様もお気づきになっている。
<これはいけない>と(せき)(ばら)いなさると、宮様ははっとしてお部屋の奥へお入りになった。
正直なところご自分ももう少し拝見していたいというお気持ちもあったけれど、簾が下ろされて安心なさる。
姫宮(ひめみや)様に恋をしていた衛門の督様は、感動のあまりお姿が頭から離れない。
()()らぬ顔をしているが、衛門の督もきっと宮様のお姿を見てしまっただろう>
大将様は姫宮様をお気の毒にお思いになる。

小さな猫が簾の(はし)からそっと顔を出したから、衛門の督様がお呼びになった。
今度は綱を(から)ませることなくするりと出てくる。
お抱きになるとかわいらしい声で鳴いて、宮様のお着物から移った香りかしら、とてもよい匂いもするの。
衛門の督様は、まるで姫宮様を抱きしめているような気がしてしまわれる。
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