こちらヒロイン2人がラスボスの魔王と龍になります。

嫌われたくない

 ハイネはまるで酔っているような砕けた口調で揶揄してきたが、ジーナは固まった。

「自分の美学とかこだわりに酩酊しっぱなしで酒程度じゃ効き目が無い状態だったりして。どうです? この私の推理」

「私ってそう見えるのか?」

「フフッたまに……とだけ言っておきます」

 胸が苦しくなったためかジーナは酒を飲もうとグラスを傾けるが、何も入ってこない。空であった。

 不思議がりながら空のグラスを置くとハイネが素早く注いできた、いっぱいに。

 ハイネを見るとそこには怪しげな笑顔がありグラスを頬の辺りにまで上げている。これは合図だとジーナはすぐに分かった。

 酒好きな兵隊同士がやる下らない勝負の一つ。どちらが早く、呑めるかどうか、というどうでもよい闘争。

 ハイネが口をつけジーナも呑み出すと二秒後にハイネはグラスを置きその間にジーナは呑みきった。

「ああこんなものだとはびっくりした……しかしすごい……空にしましたね」

「おい無理をするなって」

「ジーナのそれだっていっぱい自分を試したから分かったのですよね? だったら私も自分を試してみたいですよ」

「人の話を聞いてくれ。さっき話に出たルーゲン師だってそれでな」

「あの、それですけどその日はすごく面白かったですよ! うふふっ、いえ笑いごとじゃないのですがルーゲン師が痛飲してへべれけになるなんて絶対に一生に一度の機会でしたね。あのかっこいい人がぐでんぐでんに酔ってのいわゆる醜態……見たのは極一部の人だけですけど、あのような秘密の共有が生まれるなんて良いものを見ました」

 思い出し笑いをしながら語っていたハイネが急に笑い声を止め、一つ間を置いてからジーナを見る。その赤い目で以って。

「あなたのせいですよね? あなたが一緒にいるから呑んでルーゲン師は羽目を外してしまった。そんな人は今までいませんでした。そのただ一人があなたですよジーナ。なんででしょうね? あなたにはそういうおかしな力がありますよ、たぶん。人を変化させる力というか……ねぇ? 自分にはそういうなにかがあるという御自覚はおありで?」

 もしもあるとしたらそれは私自身の力なのではなく、ひとえにこの印と名の……

「そんな自覚は私にはない」

「それなら私はいますごく飲みたいなという気分、というか既にもうすごく飲んでいるのって、なんですか?」

「ハイネが勝手に呑んで楽しんでいるだけだろ」

 自嘲的な笑みをしながらハイネは手酌で自分のグラスに酒を注いだ。何杯めだっけ?

「こういうのも楽しいじゃないですか。そうですよ、あなた。たまにはいつも苦しめている私を楽しませてもいいのですよ。祝日サービスしなさい」

 何を言っているのかすぐには分からずにジーナは酒瓶の中身が半分以下になっているのを見つめながら、考える。

 私はいま、何を言われ、この女は私にいま、何を言ったのか……しばし瞼を閉じまた開くと瓶の中身は幾分か減っていた。どこに消えたのか?

「おい逆ではないのか? いつも苦しめられている私を楽にして貰いたいのだが」

「またそうやって被害者意識だけ募らせても仕方がないですって。ほらお互いに苦しめ合っていると思わなくては。お互い様ということで」

 そういうことですよと結論付けながらハイネはまたグラスを空にしていた。だから何杯目だ?

「ハイネからそんな言葉を聞くとは耳を疑うな」

「私もジーナから奢りなんて言葉を聞いた時に耳を疑いましたよ。それっていつものお詫びという気持ちからではありません? 私はそう解釈しましたけれど。あっいえいえ首を振っても却下です。あなたも少しは良心というものに目覚めたのではないでしょうか? だって無さすぎるですもの。だからそう考えた方が良いですよ。あなたにとっても私にとってもです。それもまぁこの私のおかげですけどね」

 長々しい文句を前に言葉を失ったジーナは天を仰ぎ見る。そこには空は無く天井の年季が入った汚れが染みついた板の継ぎ目たちが見えるだけである。

 何にから逃げているのか? それは眼の前の……何だこの匂いは、とジーナが顔を戻すと机の上には肉肉しい料理が並んでいた。

「あれ? いつの間にこんなものを」

「あなたがグラスを陽に当ててボーっとしている間に済ませました」

 そんなに長くやっていたのか? というか酒瓶の酒もいっぱいになっている……意識と時間のズレが大きくなっていないか?

「私は選んでないのだが」

「あら? 奢られるのは私なのですから選ぶのは私じゃないのですか?」

 自らの過ちなど微塵にも思わないために流れ来る透き通った声を聞きジーナはそうかもしれないな、と思いがけたが、すぐに思い直した。

 相手はあのハイネだ、それぐらいの声はすぐに出せる。そう、罪あるものであるからこそ出せる罪なきものの声というものもある。

「私はそう思わないがそういう理屈がこっちにはあるのか?」

「こっちというか、ここにはあります、私とあなたの間ではね。私だってあなた以外の男の人にこんな厚かましくって図々しいにも程があることなんて言いませんよ」

 本気で信じて疑っていないというのか。

「言っているじゃないか。それだったら他の人にも」

「私は嘘をついていません。言いません。そんな失礼なことを言って相手に嫌われたらどうするのですか? 損をするだけですってば」

「すると私には嫌われてもいいのか?」

「うん? なんですジーナ? 私には嫌われたくないのですか?」

 問いが来るとジーナは目を伏せた。その眼を見たくないのか?

 その考えることすら耐えがたく、ジーナも酒を飲もうとするも、また空だった。このグラスは、穴でも開いているのでは?

 差し出された瓶口が眼前に現れジーナはグラスを机の上に置くと酒が注がれ出し、その音が声と混じり一つとなって耳に入って来る。

「いつも、あんな酷いことを、私にしている癖に、それ自分勝手すぎません? あなただって、いつも、私には嫌われてもいいような、そんな振る舞いばかりしているじゃないですか?」

 注ぎ終わるもジーナはグラスの琥珀色の水面を表面張力を見つめる他、ない。

 顔を上げられない見ることができない、ハイネに顔を背けるように。

「いつもあなたは、私に嫌われたらと、思っている……」

 水面が揺れ零れた酒が幾筋かグラスを垂れさがり机の上へと、落ちる。

 音がひとつだけ鳴った。複数の滴が落ちているのに、音は一つだけ。

 ジーナは宝石が落ちて砕けた音を連想する。聞いたことはないが、もしも落ちたとしたらこんな音がするだろうという、綺麗で哀しい音だった。

「ちなみに私はあなたに……嫌われたくはありませんよ」

 ハイネの声に乱れは無かった。

「こんなことを言っておいて」

 反射的にジーナは言葉を返したが、グラスの酒は零れなかった。

「はい。こんな酷い扱いをしておいて、私は、あなたに嫌われたくはないのです。この程度のわがままで嫌いはしないとも信じています」

 勝手すぎる言い分だなと思うものの震えはまるでなく、そのままの姿勢で宙にあったまま。

「どうなのですジーナ」

 静かな、広がりのある声が聞こえて来る。

「過去のことや前のことは今はいいです。いま聞きたいことはいまのこと……いまのあなたの気持ちを」

 問いに対し今度は震えもせず止まらず、そのまま酒を一気に呑み干した。

 それでも何も感じず、何も起こらない。これはあまりにも無力すぎるからか?

 それはハイネも同じなのだろう。あんなに呑んでいるのに、普段とまるで変わらないそして今の自分も……意識の高揚も逆の沈鬱さもなく、闘いに赴く際の気で以って前に出るため、顔を上げた。

 ハイネが遠くにいた、いるように見える。それでも自分の口から出る声はいつも通りの大きさであった。

「じゃあ、私もハイネと同じだと言おう」

 感動もなくそう言ったと思いながらジーナはグラスをとるとまたそれに気づいた。どうして同じことをこんなに繰り返すのか。まるで自分の間違いをとがめられているような。

「また空ですよ」

 笑いを堪えているというハイネの笑顔が近くに現れ傾けられた酒瓶から酒が流れ出した。

「じゃあは余計ですが一言多いし足りないのがあなたという性分を思えば、よく言えましたと私は嬉しく感じますよ。まぁあなたの場合は言葉よりも態度ですね……あんなにすっきりと冷静を装って言い切れたのに、グラスが空になったことに気付かないとは玉に瑕で完璧になれないと思わせるあたり、あなたらしい」

 貶しているのか褒めているのかよく分からない言葉を聞きながらジーナは酒を口に含むと、旨いと感じた。

 ということは味覚が消えていた? そうだ消えていた。こんなに強い味と香りだというのに……あまりにもハイネのことを考えすぎたためになのか?

「でもですねジーナ。他の女にそういう優しさを見せたらいけませんよ。そんなことは当たり前だと受けとってあなたに負担をかけるだけですから。えっ? 私? 私はそういう女じゃありませんからね。あなたならそれは他の誰よりも、知っているでしょうけれど。何ですその顔は? 思い出してくださいよ私の優しさというものを」

 その優しさというやつをジーナは頭を動かして探っているとハイネが運ばれて来た料理の肉の塊をナイフで解体しだした。
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