あやまちは、あなたの腕の中で〜お見合い相手と結婚したくないので、純潔はあなたに捧げます〜
「冗談じゃない、ひなちゃんがいなくなったら、私たちは困るわよ!」
「そうよ、ひなちゃんのお薬があるおかげで、私たちは元気でいられるんですからね!」

 井戸端で水を汲んでいた主婦たちが、見かねたように声を上げた。
 桶をその場に置き、ずかずかと歩み寄ってくる。彼女たちの目は真剣だった。
 大家の息子はたじろぎ、肩をすくめて後ずさる。

「ぐ……っ。い、一ヶ月だ! 一ヶ月で出ていってもらうからな! ……まあ、気が変わったら、うちの門を叩くといい」

 そう吐き捨てて、男はそそくさとその場を離れた。
 その背中を、主婦たちの冷ややかな視線が容赦なく追っていた。

 ひなはしばらくその場に立ち尽くしていたが、ホッとして肩の力が抜けた。
 緊張で張りつめていた空気が、ようやく和らいでいく。
 手の中の薬草の布袋は、すっかり湿ってしわだらけになっていた。

「……ありがとうございます……」

 ようやく絞り出した声に、主婦の一人がにっこりと笑った。

「いいのよ、そんなこと。困ったときはお互いさま」
「そうよ。ひなちゃんは誰にでも優しいけど、自分を大事にしなきゃね?」

 冷たかった朝の空気の中で、主婦たちの言葉があたたかく、心にしみた。
 しかし、家賃の問題をどうにかしなければならない。家賃はもう、二ヶ月分も滞っていた。
 ひなの薬は近所の人たちには評判だが、お金にはならない。
 たくさん作れない上に、近所の人たちもまた生活に余裕があるわけではなく、食べ物などの物々交換が主だからだ。生きていく分にはそれで充分だが、家賃だけはそうはいかない。

(もう、限界かもしれない……)

 声に出せば、どこか崩れてしまいそうで、ひなは空を見上げた。
 曇った朝空は、どこまでも遠く、何ひとつ答えてはくれない。
 指先が冷たい。心の中も、同じくらい冷えていた。
 この不安も、何もかも、雲と一緒に流れていけばいいのに──。
 そう思いながら空を見ているしかなかった。
 
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