あやまちは、あなたの腕の中で〜お見合い相手と結婚したくないので、純潔はあなたに捧げます〜

7・古傷 ※

 手首を掴まれたひなは、戸惑いを隠せずに慶一郎を見上げた。
 慶一郎もまた、眉をひそめたまま、言葉もなくひなを見つめ返す。
 眼鏡の奥で黒曜石のように深く光る瞳に、吸い込まれそうになる──ひなは慌てて視線を逸らした。
  
「昔のように、手当てをしてくれないか」
「あの薬は、もう手元にありません」

 青蓮草の苗は、早乙女家の花壇に植えたまま置いてきた。誰も手入れしていないのであれば、とうの昔に枯れてしまっているだろう。

「他の薬でもいい。多少、効果が弱くても」
「……そういったことは、当方では行なっておりませんので」

 ひなは淡々と、業務上の返答をした。けれど彼は諦めない。

「仕事が終わってからでいい」

 従業員と客ではなく、個人的な頼みなら応じてくれるとでも思っているのか。
 ひなは落胆を滲ませるように息を吐いた。
 
「夜は遅くなります」
「かまわない」
「……無理です」

 そのやりとりの果て、慶一郎は少し目を細めて、声のトーンを落とした。

「……俺は、早乙女の当主だ。おまえを無理にでも早乙女家に戻すことはできる」

 脅しとも懇願ともつかないその声に、ひなは沈黙した。
 息子である慶翔のことを思うと、早乙女家に戻ることはできない。大奥様が許すはずがない。それに、万が一篠宮の人間の者に出会ったら──。
 ひなは、観念してゆっくりと首を縦に振った。
 
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