あやまちは、あなたの腕の中で〜お見合い相手と結婚したくないので、純潔はあなたに捧げます〜
 それからというもの、慶翔はすっかり慶一郎に懐いてしまった。

「けーいちろー、これなぁに?」

 慶翔は興味津々といった様子で、慶一郎の眼鏡に手を伸ばす。

「こ、こらっ、慶翔、『慶一郎様』でしょ」

 ひなが慌てて止めようとすると、慶一郎はふっと微笑んだ。

「ふふ、かまわない。そうか、眼鏡が珍しいか」

 その声も手つきも、どこまでも穏やかだった。
 まるで、あの夜のことなど何もなかったかのように。
 慶一郎は慶翔を膝にのせ、自分の眼鏡を外してそっと渡す。
 それをおもちゃのように覗き込む慶翔の姿を、じっと見守っている。
 本当の親子でも、こんなふうにはならないのではと思うほど自然な光景だった。
 その様子を見ていた女将が、朗らかに笑いながら声をかけた。

「慶翔ちゃん、早乙女様によぉ懐いとるなぁ。これじゃあ、お客様なんか家族なんかわからへんくらいやねぇ」

 たしかに……。いつもなら人見知りして、ひなの後ろに隠れてしまう慶翔が、初対面に近い相手にここまで心を開くのは珍しい。
 それも、よりによって彼に。
 見ていて胸の奥がそわそわと騒がしくなる。

「そうや、もし早乙女様さえよかったら、慶翔ちゃんと一緒にご飯食べたってくれませんかねぇ」
「お、女将さん……!」

 思わずひなが制止しようとする。
 だが、女将はまるで気にも留めないように続けた。

「私もひなちゃんも、朝は忙してなぁ。朝ごはんだけでも、どうですやろ? もしお身体の調子が悪かったら、無理にとは言いませんけども」

 やめてください、そんな気軽に……と、声に出せないまま、ひなは言葉を飲み込んだ。
 慶翔はきょとんとした顔で、視線を慶一郎とひなの間に泳がせている。
 そんな空気の中、慶一郎は一拍おいて穏やかに口を開いた。

「実は……ここにいる間、どう暇を潰そうかと考えていたところです。慶翔くんのお世話、自分にやらせてください」

 さらりとそう言って微笑む彼の横顔に、胸がきゅうっと締めつけられるような感覚が走った。
 ──そんなふうに、当然のように言わないで。
 そう思ったはずなのに、声は出なかった。

< 48 / 83 >

この作品をシェア

pagetop