あやまちは、あなたの腕の中で〜お見合い相手と結婚したくないので、純潔はあなたに捧げます〜
 数日後、ひなは手持ちの中で最も上等な着物に身を包み、わずかばかりの薬を手土産に早乙女家を訪れた。立派な門構えに広い庭。瓦屋根が美しい格式ある日本家屋からは、静かに張り詰めたような空気が漂っている。一介の薬師が足を踏み入れるような場所ではないと、身に沁みて感じた。

 応接間で出迎えた大奥様──早乙女(さおとめ)清栄(せいえい)は、美しい女性だった。まだ四十後半ほどに見えるが、髪は早くも白く、その銀糸のような髪がかえって彼女の気品を引き立てている。
 畳敷きの屋敷とは対照的に、応接間は洋風の造りだった。真紅の絨毯が敷かれ、壁には西洋風の模様があしらわれている。天井には小ぶりながらも優雅なシャンデリアが下がり、柔らかな光で部屋全体を照らしていた。
 清栄は、肘掛けつきの洋椅子に座り優雅に微笑み、扇子を扇いでいる。その瞳は透徹した観察の色が宿っているようだった。
 ひなはその威厳に息を呑みそうになりながらも、頭を深く下げる。

「は、はじめまして……。藤田ひなと申します」

 ひなは貴族階級の作法など心得ていない。
 それでも、必死に礼を尽くすように、言葉を選びながら名乗った。
 
「まあ……あなたが。なるほど、真面目そうなお嬢さんだこと」

 その声凛として心地よく、温かみさえ感じられた。
 清栄の視線に緊張が募り、膝の上の手のひらは汗ばんでいる。
 
 ひなは促されるままに、洋卓を挟んだ向かい側の洋椅子に腰を下ろす。
 こんなに上等でふかふかした椅子に座るのは、生まれて初めてのことだった。

「薬もあなたが調合したの? たいしたものね」
「……もったいないお言葉です」

 緊張のあまり声がか細くなりながらも、ひなは丁寧に頭を下げた。

「事情は山根から聞きました。量産できないそうね?」

 すでに事情を把握した上での問いかけであることを、ひなはすぐに悟る。

「はい。青蓮草(セイレンソウ)という、希少な薬草を使っておりますので……」

 ひなは誠実に答えた。

「その、青蓮草を栽培することは?」
「試してみましたが……温度、湿度、土の状態など、条件が揃わないと難しいのです。うちに小さな薬草園がありますが、そこでもほんの少ししか育ちません」

 気候や天気によって日々の手入れが変わり、常に様子を見ながら調整が必要だ。
 道具も揃わない田舎の環境では、それが限界だった。

「早乙女家なら、広い薬草園を構えることも可能だけれども……」
「ありがたいお話です。他の薬草であれば、それも良いかもしれません。ですが……」

 ひなは言葉を選びながら続けた。

「維持費と、薬の売上げを比べますと……利益にはならないかと存じます」

 たとえ早乙女家の財力で温室を整えたとしても、薪や水、肥料の費用、広大な園の手入れなど、費やす労力は決して小さくはない。
 ましてや、気難しい薬草が思うように育つとは限らない。
 それならば、今まで通り、限られた量を丁寧に作る方が現実的だった。

「……そう」

 清栄は短くそう言い、ほんのわずかに目を伏せる。
 その声には納得と、かすかな諦めが混じっていた。

「それなら、仕方ないわね。せめて慶一郎の分があるだけでも、ありがたいと思いましょうか」

 どこか気持ちを切り替えるような声で、清栄は小さく息をついた。

「僭越ながら、今あるお薬をお持ちいたしました。ご入用でしたら……」

 ひなは、持参した藤色の包みを両手でそっと差し出し、洋卓の上で広げようとした。

「ああ、それなら丁度いいわ。もうすぐ慶一郎が帰ってくる頃だから、本人に──」

 その時、応接室の扉が控えめに叩かれた。

「ただいま戻りました」

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