あやまちは、あなたの腕の中で〜お見合い相手と結婚したくないので、純潔はあなたに捧げます〜
 薬棚のある部屋へと駆け込み、ひなは棚の瓶を一つひとつ確認していく。
 だが、肝心の薬草──スミレが、どこにも見当たらない。

「……しまった。この間のお客様に差し上げたので、最後だったんだわ……」

 スミレは熱を鎮め、神経の昂ぶりを穏やかにする唯一の薬草。
 慶一郎のように、過労や緊張で体が限界を超えてしまった時には、他のどんな薬草でも代わりがきかない。
 だが、スミレは春の花。初夏のこの時期、もう野に咲いているはずがない。

(どうしよう……どうすれば……)

 焦りが胸をかき乱す。だがそのとき、かすかな記憶がひなの中で閃いた。
 
 ──慶一郎と、四年ぶりに再会したあの日。
 市場の通りで慶翔がスミレを摘み、その後しおりを三つ作った。

(……あのとき、本に挟んで──)

 ひなは立ち上がり、急いで女中部屋へと駆け戻った。

「慶翔……!」

 絵本を読んでいた息子が、母のただならぬ様子にぱちりと目を見開く。

「慶翔、あのね。スミレのしおり、覚えてる? あれを少しだけ、お母さんにわけてほしいの」
「……どうして?」

 素朴な問いに、ひなはためらわず答える。

「慶一郎様を助けるためなの」

 その言葉に、慶翔の小さな顔が曇った。
 だが、すぐにその瞳に何かを決意する光が宿る。

「……うん。いいよ。けーいちろー、元気になるなら……」
「……ありがとう……!」
 
 ひなは慶翔を抱きしめ、すぐに本棚に向かう。
 本の間に大切に挟まれていたスミレのしおり。
 春の日差しのようにやわらかく、けれど色褪せることのないその紫が、今も美しく残っていた。

(よかった……これなら使える……!)

 ひなは目頭が熱くなるのをこらえながら、しおりからスミレの花びらをそっと剥がした。
 指先がかすかに震えているのが、自分でもわかる。
 それでもひなは、まっすぐ前を見据えた。
 薬は液状に調えられ、湯呑に注がれる。それはわずかに揺れ、スミレの香りが淡く漂った。

 椿の間へ戻ると、沙都子の視線がひなの手元の湯呑に落とされた。
 ほんの一瞬だけ、睫毛がわずかに震えた気がした──その時、

「わたくしが飲ませます!」

 鋭い声とともに、沙都子に半ば強引に湯呑と匙を奪い取られた。
 ひなは廊下に追い出され、襖がぴしゃりと閉められてしまう。

 言葉もなく、襖の前で立ち尽くす。けれど、心配でその場を離れられなかった。
 襖の隙間に指をかけて、そっと覗き込む。

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