あやまちは、あなたの腕の中で〜お見合い相手と結婚したくないので、純潔はあなたに捧げます〜
 やがて、話が一段落すると、山根が慶翔を連れてやってきた。
 人見知りをしたのか、慶翔はひなの後ろにぴたりと隠れる。

「その子は……?」

 清栄が眉を顰めながら訊ねた。

「……私の、息子です」
「なんですって……!? まさか、〝隠し子〟って……本当だったの!?」

 あからさまな驚きと戸惑いの色が、清栄の声ににじむ。

「真実です。その子は……紛れもなく俺の子です」

 慶一郎が告げると、清栄の顔色が変わった。

「大奥様。お咎めならあとで、いくらでも受けます。でも、今は……慶翔に話をさせてもらえませんか」

 幼い子どもの前で感情をぶつけるのは得策ではないと察したのだろう。
 清栄は口を閉ざし頷いた。
 ひなは膝を折り、慶翔の目線に合わせる。

「慶翔。だいじな話があるの」

 そう前置きして、ひなは優しく続ける。

「慶翔には、ちゃんとお父さんがいるの。今まで黙ってて、ごめんね。お父さんは……慶一郎様よ」

 慶翔は目を瞬かせて、すぐ隣にいる慶一郎を見上げた。

「けーいちろー……おとうさん……?」

 不思議そうに首をかしげながらも、その声にはどこか嬉しさがにじんでいた。

「ごめんな、今まで言えなくて。でもこれからは、お父さんと呼んでくれたら嬉しい」

 慶一郎がそっと慶翔の頭を撫でる。
 慶翔はまだ完全には実感がわかない様子だったが、不安そうな様子はなかった。
 二人は、湯乃谷屋で共に過ごした二か月の時間を通して、言葉にせずとも親子になっていた。
 真実は、ただ形を与えられたに過ぎない。
 そんな親子のやりとりを見ていた清栄が、口を開いた。

「……ひとつ、聞いてもいいかしら」
「はい」

 ひなは姿勢を正した。

「この子の名前……もう一度言ってくれる?」
「──慶翔といいます」

 その名に、清栄の目がかすかに揺れた。
 人の幸せを願い、優しさを胸に未来へ翔けるように。慶一郎の名から一文字授かり、そんな願いを込めてひなが名づけた。
 そのとき、慶翔が清栄を見上げて、愛らしい声で訊ねた。

「このひと……だぁれ?」

 ひなと慶一郎が言葉を探していると、山根がにこやかに助け船を出す。

「慶翔さんの、おばあちゃんになられる方ですよ」
「や、山根さん、それは……っ」

 思わずひなが制止する。
 まだ結婚の許しを得ていないのに、軽々しく〝祖母〟と紹介してよいのか、迷いがよぎったのだ。

「……おばあちゃん?」

 幼い声が室内に響いた。
 あどけない瞳で見上げる慶翔が、まっすぐに清栄を見つめている。

 清栄の目が、大きく見開かれた。
 一瞬、言葉を失ったようにその場に固まる。
 そして、ぽつりと呟くように言った。

「……似ているわね」

 その声には、怒りも苛立ちもなかった。ただ、胸の奥からこぼれ出たような、静かな感慨。

「幼い頃の慶一郎に、そっくり」

 次の瞬間、清栄の口元にこれまで一度も見せたことのない穏やかな笑みが浮かぶ。
 それは威厳を纏った大奥様ではなく、一人の祖母の顔だった。

「──おばあちゃんでいいわ。よろしくね、慶翔」

 ひなは言葉を失った。
 慶一郎の方を見ると、彼の目もまた大きく見開かれていた。

「母上……では、結婚をお許しいただけるのですか……!」

 慶一郎が、一歩前へ出て声を震わせる。
 清栄はすっと視線を落とし、まるで独り言のように呟いた。

「……私は、これまでなにを見ていたのかしらね」

 その声は、悔いとも懺悔ともつかぬ響きを帯びていた。

「この子の顔を見ていたら……もう、細かいことなんてどうでもよくなってしまったわ」

 ひなは、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
 涙が、ゆっくりとせり上がってくる。

「ですが──」

 清栄の声がわずかに引き締まり、ひなと慶一郎ははっと顔を上げる。

「あなたたちが結婚するなら、一つだけ条件があります」

 厳かな口調に、二人は思わず息を飲む。
 どんな難題が飛び出すのかと、空気が一気に張りつめる。

「……結婚式は、盛大になさい。早乙女家の当主にふさわしいものを」

 清栄はそう言って、ふっと目尻を緩めた。

「誰よりも華やかに、誰よりも幸せそうに。世間に、胸を張って見せてごらんなさい」

 その言葉に、ひなの胸がふわりと温かくなった。
 ようやく長く閉ざされていた扉が、開いたような気がした。
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