あやまちは、あなたの腕の中で〜お見合い相手と結婚したくないので、純潔はあなたに捧げます〜
*
応接室に戻ると、慶一郎が立ったまま右往左往していた。
心配していたのだろう、ふたりの姿を見ると、ぎょっと目を見開いた。
慌てたように傍にやってきて、左頬に視線を向ける。
「ひな……! 頬が……」
慶一郎の指先がそっと触れると、じんわりと痛みが浮かんでくる。
しかしひなは、それを悟られまいと気丈に微笑んだ。
「大丈夫です、慶一郎様」
「いや、しかし……」
慶一郎はすぐさま懐から白いハンカチを取り出し、優しく頬にあてがった。
彼がこれほど取り乱す姿を見るのは、ひなにとって初めてだった。
胸の中で、くすりと笑う。
と、その時──わざとらしい咳払いが部屋に響く。
我に返ったふたりが振り向くと、沙都子が目を伏せ、ほのかに頬を染めていた。
「……おふたりとも、いちゃいちゃするのは、お帰りになってからにしてくださいませ」
呆れたような声に、ひなと慶一郎は同時に赤くなり、慌てて離れる。
沙都子の顔を見た慶一郎が、気まずそうな表情を浮かべた。
目は真っ赤で、明らかに泣き腫らした顔だったからだ。
なにがあったのか、容易に想像できたのだろう。慶一郎は、沙都子をも気遣おうとする。
「その……沙都子さん」
「いいんですのよ、同情はやめてください。わたくし、伴侶となる男性以外の前では、涙を見せないと決めておりますの!」
まるで、拗ねた子どものように、沙都子はフンと鼻を鳴らして言い切った。
気まずい雰囲気にならないよう、配慮してくれたのかもしれないと思うと、ひなは沙都子という人物を嫌いになれないでいた。
再び挨拶をして、慶一郎とひなは葛城家を後にしようとすると、沙都子が呼び止めた。
「あら、お待ちになって。まだ話は終わっていませんわ」
「はい……?」
まだこれ以上、なにか言われるのだろうかと、ひなはびくつく。
「聞けば、新しい薬を開発されるそうですわね?」
沙都子は、興味深げに慶一郎を見つめた。
「女学校で学んで以来、ずっと思っておりましたの。これからは婦人といえども、社会に出てビジネスに携わる時代ですわ。特に医薬は人々の暮らしを変える力がある。ですから──」
一呼吸おいて、沙都子は続ける。
「もし本当にその薬に将来性があるのなら、葛城家として投資を考えてもよろしいかと存じますの」
その申し出に、ひなも慶一郎も目を丸くした。
てっきり、婚約解消すれば投資の話もなくなると思っていた。
しかし、目の前の沙都子は令嬢としてでなく、一人の資産家として、好奇心に目を輝かせている。
「すみません、沙都子さん。俺は、てっきり……投資の話はなくなるものと思っていました」
慶一郎は、正直な胸の内を伝えた。
「たしかに、お父様ならそう言ったかもしれません。ですがわたくしは、ひなさんの薬の可能性を、信じたいのです。そして、自分の先見の明を信じたいのですっ」
沙都子の声は熱を帯び、瞳がうっとりと揺れる。
その様子に、ひなと慶一郎は圧倒され、少し身体をのけぞった。
「お父様は、こう言うんです。『女子供が商売に口を挟むものではない』と……。だから、ひなさんっ」
「はいっ?」
沙都子は、慶一郎ではなくひなの手を取る。
「わたくしを助けると思って、ひなさんに賭けさせてくださいまし! わたくしの目が確かだと、証明させてくださいまし!」
沙都子の懸命さに胸を打たれ、ひなは口元を緩めた。
そして、彼女の手に自分の手を重ねて、答える。
「もちろんです、沙都子さん」
応接室に戻ると、慶一郎が立ったまま右往左往していた。
心配していたのだろう、ふたりの姿を見ると、ぎょっと目を見開いた。
慌てたように傍にやってきて、左頬に視線を向ける。
「ひな……! 頬が……」
慶一郎の指先がそっと触れると、じんわりと痛みが浮かんでくる。
しかしひなは、それを悟られまいと気丈に微笑んだ。
「大丈夫です、慶一郎様」
「いや、しかし……」
慶一郎はすぐさま懐から白いハンカチを取り出し、優しく頬にあてがった。
彼がこれほど取り乱す姿を見るのは、ひなにとって初めてだった。
胸の中で、くすりと笑う。
と、その時──わざとらしい咳払いが部屋に響く。
我に返ったふたりが振り向くと、沙都子が目を伏せ、ほのかに頬を染めていた。
「……おふたりとも、いちゃいちゃするのは、お帰りになってからにしてくださいませ」
呆れたような声に、ひなと慶一郎は同時に赤くなり、慌てて離れる。
沙都子の顔を見た慶一郎が、気まずそうな表情を浮かべた。
目は真っ赤で、明らかに泣き腫らした顔だったからだ。
なにがあったのか、容易に想像できたのだろう。慶一郎は、沙都子をも気遣おうとする。
「その……沙都子さん」
「いいんですのよ、同情はやめてください。わたくし、伴侶となる男性以外の前では、涙を見せないと決めておりますの!」
まるで、拗ねた子どものように、沙都子はフンと鼻を鳴らして言い切った。
気まずい雰囲気にならないよう、配慮してくれたのかもしれないと思うと、ひなは沙都子という人物を嫌いになれないでいた。
再び挨拶をして、慶一郎とひなは葛城家を後にしようとすると、沙都子が呼び止めた。
「あら、お待ちになって。まだ話は終わっていませんわ」
「はい……?」
まだこれ以上、なにか言われるのだろうかと、ひなはびくつく。
「聞けば、新しい薬を開発されるそうですわね?」
沙都子は、興味深げに慶一郎を見つめた。
「女学校で学んで以来、ずっと思っておりましたの。これからは婦人といえども、社会に出てビジネスに携わる時代ですわ。特に医薬は人々の暮らしを変える力がある。ですから──」
一呼吸おいて、沙都子は続ける。
「もし本当にその薬に将来性があるのなら、葛城家として投資を考えてもよろしいかと存じますの」
その申し出に、ひなも慶一郎も目を丸くした。
てっきり、婚約解消すれば投資の話もなくなると思っていた。
しかし、目の前の沙都子は令嬢としてでなく、一人の資産家として、好奇心に目を輝かせている。
「すみません、沙都子さん。俺は、てっきり……投資の話はなくなるものと思っていました」
慶一郎は、正直な胸の内を伝えた。
「たしかに、お父様ならそう言ったかもしれません。ですがわたくしは、ひなさんの薬の可能性を、信じたいのです。そして、自分の先見の明を信じたいのですっ」
沙都子の声は熱を帯び、瞳がうっとりと揺れる。
その様子に、ひなと慶一郎は圧倒され、少し身体をのけぞった。
「お父様は、こう言うんです。『女子供が商売に口を挟むものではない』と……。だから、ひなさんっ」
「はいっ?」
沙都子は、慶一郎ではなくひなの手を取る。
「わたくしを助けると思って、ひなさんに賭けさせてくださいまし! わたくしの目が確かだと、証明させてくださいまし!」
沙都子の懸命さに胸を打たれ、ひなは口元を緩めた。
そして、彼女の手に自分の手を重ねて、答える。
「もちろんです、沙都子さん」