組長さんと年下彼女~今日から同棲始めます~
6.ここで寝ちゃ、ダメ?
時計を確認していないので正確に何時とは言えないけれど、恐らく真夜中に近い頃だろう。
芽生が喉の渇きにふと目を覚まして、水でも飲もうとLDKへ向かおうとした時のことだった。
芽生は自分の部屋とは結構離れた位置にある京介の部屋の扉の隙間から幽かに光が漏れているのに気が付いた。
(京ちゃんってばまだ起きてるの?)
そう思って、少し迷ったけれどリビングとは逆サイド――京介の部屋の方へ足を向ける。
(ほらね。寝る前に苦いコーヒーなんて飲んだりするから)
ふふん♪ と得意顔でそろそろと近付いた京介の部屋の前。
「ああ、――で?」
低められた京介の話し声が聞こえてきて、芽生は思わず息をひそめて聞き耳を立てた。
「ってこたぁ、やっぱりありゃぁ、……う……だったのか」
(京ちゃん? 一体なんの話をしているの?)
〝だったのか〟の前が良く聴き取れなかったからだろうか。そのことが妙に気になって、心臓が言い知れぬ不安でトクトクと打ち震え始める。
「あ? そこまで分かっててやった奴の目星がまだ付けられてねぇとか……。千崎よ、お前、それ本気で言ってんのか?」
芽生は今まで京介と一緒にいて、彼がこんな風に怒りを抑えた威圧的な声で話すところに遭遇したことがなかった。
それでだろう。これまでは京介が裏の世界へ身を置く人なのだと知ってはいても、実感することはほぼ皆無だったのだ。
もちろん京介自身からは「俺は『相良組』の組長で、『葛西組』の方じゃ若頭を張らしてもらってんだ」と聞かされていたし、「だからあんまし俺に構ってっと、ろくな目に遭わねぇぞ?」と注意喚起されてもいた。
初めて京介からその話を聞かされた時、芽生は小首を傾げたのだ。
『ねぇ京ちゃんはなんで二つのところに籍があるの? どっちが本業でどっちが副業?』
芽生としては至極単純な疑問だったのだけれど、それは京介をひどく驚かせてしまったらしい。
彼から困ったような顔で見つめられて、『どっちがって言われてもなぁ。あぁ、けどそっか。子ヤギは極道のことにゃ疎ぇーもんなぁ』と吐息を落とされてしまった。
そうして『あー、あれだ。葛西組の方が一次団体っつってな、まぁいわゆる親みてぇなもんだな。俺は葛西組の組長から盃を貰った子だから葛西組の方でも結構優遇されてて若頭までいかせてもらってんだわ。で、親父……あー、葛西組の組長のことな? その人に許可もらって相良組の組長をやらせてもらってんだよ。んなわけで、相良組の方は葛西組の二次団体……ま、平たく言やぁ葛西組の子だな』と丁寧に(?)噛み砕いて説明してくれた。
それを聞いて、要するに葛西組が本店で、相良組が支店という解釈で合っているかしら? と思った芽生である。
(ということは京ちゃんは支店長さん?)
そう考えたけれど、それはそれでなんだかイマイチ分からない。
本店(?)の方の組長さんが頂点ならば、支店(?)の方のトップの名前も組長さんってややこしくないだろうか。
(役職名、変えればいいのに)
そもそも――。
(支店で組長さんやってる京ちゃんと、本店の若頭さんしてる京ちゃんって、どっちが偉いの?)
申し訳ないけれど芽生には理解の範疇を越え過ぎていて、なんのことやらチンプンカンプン。
一次とか二次とか。盃がどうのこうので親とか子とか。
はっきりいって、組長と若頭のどちらが偉いのかさえさっぱり分からなくて混乱しまくりだったから、正直どんなに脅されても京介は京介。それ以上でも以下でもなかった。
それこそ、ちょっと眼付きが悪くて口調が俗っぽいだけの京介は、芽生にとって誰よりも優しくてかっこいい恋慕の対象でしかない。芽生には、それだけがハッキリと理解できる真実だった。
だから、「お前と俺とは住む世界が違うんだよ」とことあるごとに言われていても、「また京ちゃんの屁理屈が始まった」くらいの印象だったのだ。
それがたった今、初めて京介から散々聞かされてきた言葉の真の意味が垣間見えた気がして、芽生の心は迷子になった。
大好きな京介が急に遠くへ行ってしまったような恐怖に、芽生はゾクリと身体を震わせる。
いつもの京介が恋しくて、芽生は盗み聞きしている立場だというのも忘れて、京介の部屋の扉をノックもせずに開けていた。
「京ちゃん!」
「芽生!? お前まだ起き……っ」
京介がこちらを振り返ったと同時、芽生は京介の言葉を遮るようにして、ギュッと彼にしがみつく。京介からは芽生と同じ石鹸の香りに混ざって、いつもより濃い煙草のにおいがした。
芽生は、京介が苛立った時や心配事がある時なんかに紫煙を燻らせる頻度が高まることを知っている。
現に今だって自分に抱きつかれた京介が、芽生に副流煙が及ぶのを気にしてくれたんだろう。手にしていた煙草をすぐそばの灰皿で揉み消したのが見えた。
「おい、子ヤギ、こんな夜中にどうした?」
(京ちゃんこそ、何に対してそんなに苛ついてるの?)
聞きたいのに聞けないもどかしさから、半ば無意識。芽生はまるで幼子がむずかるように京介の厚い胸板へグリグリと額を押し付けた。
先ほどから振動を伴って、京介の低い声が芽生の中へ染み入ってくるのはそのためだ。心配そうに投げ掛けられた声はいつもの聞き慣れた京介の声で、芽生はホッとしたと同時、つい気が緩んで視界を涙で滲ませてしまう。
「きょぉちゃ、ん」
一度自分が泣いていると自覚してしまったら、もう止められない。芽生は京介にぎゅうっとしがみついて、うわぁーんと子供みたいに声を上げて泣きじゃくった。
「え? あ、おいっ。芽生、大丈夫か!? 何があった!?」
そんな芽生を引き剥がせないまま、――いや、それどころかむしろその両肩に手を添えて――、京介が柄にもなくオロオロとした様子で芽生を心配してくれるから……芽生は幸せでたまらないと思ってしまった。
こんな時に不謹慎だけど、大きな身体を折り曲げるようにして芽生の顔を覗き込んでくれる京介が愛しくてたまらない。
さっきまであんなに不安だったはずなのに、今は嘘みたいに気持ちが凪いでいた。
だからだろう。今さら本当の理由を言うのはなんだか恥ずかしく思えて、気遣わし気に自分を見詰めてくる京介へ、どう言い訳しようか頭を悩ませる羽目になった。
芽生が喉の渇きにふと目を覚まして、水でも飲もうとLDKへ向かおうとした時のことだった。
芽生は自分の部屋とは結構離れた位置にある京介の部屋の扉の隙間から幽かに光が漏れているのに気が付いた。
(京ちゃんってばまだ起きてるの?)
そう思って、少し迷ったけれどリビングとは逆サイド――京介の部屋の方へ足を向ける。
(ほらね。寝る前に苦いコーヒーなんて飲んだりするから)
ふふん♪ と得意顔でそろそろと近付いた京介の部屋の前。
「ああ、――で?」
低められた京介の話し声が聞こえてきて、芽生は思わず息をひそめて聞き耳を立てた。
「ってこたぁ、やっぱりありゃぁ、……う……だったのか」
(京ちゃん? 一体なんの話をしているの?)
〝だったのか〟の前が良く聴き取れなかったからだろうか。そのことが妙に気になって、心臓が言い知れぬ不安でトクトクと打ち震え始める。
「あ? そこまで分かっててやった奴の目星がまだ付けられてねぇとか……。千崎よ、お前、それ本気で言ってんのか?」
芽生は今まで京介と一緒にいて、彼がこんな風に怒りを抑えた威圧的な声で話すところに遭遇したことがなかった。
それでだろう。これまでは京介が裏の世界へ身を置く人なのだと知ってはいても、実感することはほぼ皆無だったのだ。
もちろん京介自身からは「俺は『相良組』の組長で、『葛西組』の方じゃ若頭を張らしてもらってんだ」と聞かされていたし、「だからあんまし俺に構ってっと、ろくな目に遭わねぇぞ?」と注意喚起されてもいた。
初めて京介からその話を聞かされた時、芽生は小首を傾げたのだ。
『ねぇ京ちゃんはなんで二つのところに籍があるの? どっちが本業でどっちが副業?』
芽生としては至極単純な疑問だったのだけれど、それは京介をひどく驚かせてしまったらしい。
彼から困ったような顔で見つめられて、『どっちがって言われてもなぁ。あぁ、けどそっか。子ヤギは極道のことにゃ疎ぇーもんなぁ』と吐息を落とされてしまった。
そうして『あー、あれだ。葛西組の方が一次団体っつってな、まぁいわゆる親みてぇなもんだな。俺は葛西組の組長から盃を貰った子だから葛西組の方でも結構優遇されてて若頭までいかせてもらってんだわ。で、親父……あー、葛西組の組長のことな? その人に許可もらって相良組の組長をやらせてもらってんだよ。んなわけで、相良組の方は葛西組の二次団体……ま、平たく言やぁ葛西組の子だな』と丁寧に(?)噛み砕いて説明してくれた。
それを聞いて、要するに葛西組が本店で、相良組が支店という解釈で合っているかしら? と思った芽生である。
(ということは京ちゃんは支店長さん?)
そう考えたけれど、それはそれでなんだかイマイチ分からない。
本店(?)の方の組長さんが頂点ならば、支店(?)の方のトップの名前も組長さんってややこしくないだろうか。
(役職名、変えればいいのに)
そもそも――。
(支店で組長さんやってる京ちゃんと、本店の若頭さんしてる京ちゃんって、どっちが偉いの?)
申し訳ないけれど芽生には理解の範疇を越え過ぎていて、なんのことやらチンプンカンプン。
一次とか二次とか。盃がどうのこうので親とか子とか。
はっきりいって、組長と若頭のどちらが偉いのかさえさっぱり分からなくて混乱しまくりだったから、正直どんなに脅されても京介は京介。それ以上でも以下でもなかった。
それこそ、ちょっと眼付きが悪くて口調が俗っぽいだけの京介は、芽生にとって誰よりも優しくてかっこいい恋慕の対象でしかない。芽生には、それだけがハッキリと理解できる真実だった。
だから、「お前と俺とは住む世界が違うんだよ」とことあるごとに言われていても、「また京ちゃんの屁理屈が始まった」くらいの印象だったのだ。
それがたった今、初めて京介から散々聞かされてきた言葉の真の意味が垣間見えた気がして、芽生の心は迷子になった。
大好きな京介が急に遠くへ行ってしまったような恐怖に、芽生はゾクリと身体を震わせる。
いつもの京介が恋しくて、芽生は盗み聞きしている立場だというのも忘れて、京介の部屋の扉をノックもせずに開けていた。
「京ちゃん!」
「芽生!? お前まだ起き……っ」
京介がこちらを振り返ったと同時、芽生は京介の言葉を遮るようにして、ギュッと彼にしがみつく。京介からは芽生と同じ石鹸の香りに混ざって、いつもより濃い煙草のにおいがした。
芽生は、京介が苛立った時や心配事がある時なんかに紫煙を燻らせる頻度が高まることを知っている。
現に今だって自分に抱きつかれた京介が、芽生に副流煙が及ぶのを気にしてくれたんだろう。手にしていた煙草をすぐそばの灰皿で揉み消したのが見えた。
「おい、子ヤギ、こんな夜中にどうした?」
(京ちゃんこそ、何に対してそんなに苛ついてるの?)
聞きたいのに聞けないもどかしさから、半ば無意識。芽生はまるで幼子がむずかるように京介の厚い胸板へグリグリと額を押し付けた。
先ほどから振動を伴って、京介の低い声が芽生の中へ染み入ってくるのはそのためだ。心配そうに投げ掛けられた声はいつもの聞き慣れた京介の声で、芽生はホッとしたと同時、つい気が緩んで視界を涙で滲ませてしまう。
「きょぉちゃ、ん」
一度自分が泣いていると自覚してしまったら、もう止められない。芽生は京介にぎゅうっとしがみついて、うわぁーんと子供みたいに声を上げて泣きじゃくった。
「え? あ、おいっ。芽生、大丈夫か!? 何があった!?」
そんな芽生を引き剥がせないまま、――いや、それどころかむしろその両肩に手を添えて――、京介が柄にもなくオロオロとした様子で芽生を心配してくれるから……芽生は幸せでたまらないと思ってしまった。
こんな時に不謹慎だけど、大きな身体を折り曲げるようにして芽生の顔を覗き込んでくれる京介が愛しくてたまらない。
さっきまであんなに不安だったはずなのに、今は嘘みたいに気持ちが凪いでいた。
だからだろう。今さら本当の理由を言うのはなんだか恥ずかしく思えて、気遣わし気に自分を見詰めてくる京介へ、どう言い訳しようか頭を悩ませる羽目になった。